落ちた街路樹の葉が木枯らしに舞い、人々はコートの襟を立てて足早に道を横切って行く。この街にも冬が来る。冷たい雪が舞うようになるのもそう遠いことではないだろう。
 行きつけにしているこのカフェも、オープンテラスに席を取るのは随分寒くなってきた。夏ならお客でひしめくテラス席も、今のところは俺以外に人はいない。薄着のギャルソンが寒そうに身を縮めながら持って来てくれたのは、少し濃い目に入れてもらったカフェ・オレ。普段ならエスプレッソを頼むところだけど、今日はなんとなくそんな気分。
 暖かいカフェ・オレに口を付け、俺は風に流れていく灰色の雲をぼんやりと見上げた。




5.side-LUPIN





 次元と組んだ仕事からは1ヶ月以上が経っていた。
 いつもなら仕事を一つ終えればすぐに次の仕事に取り掛かるのだが、今回はそんな気分には到底なれなくて、だらだらと無為に時間を過ごしていた。毎日昼過ぎて起きて、カロリーだけのジャンキーな食事をとり、酒を飲んで博打を打ったり女の子と遊んだりしては、明け方頃に眠りにつく、そんな自堕落極まりない生活を繰り返す日々。しかもそれだって悪くないとか思い始めている始末。
 正直なところ、最近の俺は盗むこと自体に飽きはじめていたのだ。取るに足らない子供だましの警備をすり抜けることなど造作もない。スリルがなければ盗む意味も泥棒である意味もないし、ただ漫然とこなされる為だけにある計画など、この退屈な日常となんら変わりない。
 それがどうだ。次元と組んだ前回の仕事は警備員のことさえなければ完璧だったし、最高の仕事だったと思う。それは獲物がどうこうという話よりも、次元大介という男と一緒だったということが大きいと思っている。隣にいるのが奴だということ。違いはただそれだけだというのに、俺はいつにない高揚感に見舞われていた。細胞の一つ一つが湧き立つような感覚。この男とならばとてつもなくスリリングなことが出来る。それは予感ではなく、実感。そして確信。
 だから、次元のいない次の仕事のことなど、何一つ考えられるわけがない。

『俺はお前とは二度と組まねぇ』

 もちろんそう啖呵を切られたことを忘れたわけではないが、この充実感を高揚感を知ってしまった以上は『はいそうですか』と簡単に諦めれるはずがない。世界一のガンマンの最高の腕。だが腕だけではない。俺には、自分にとってこの男が必要なのだという直感のようなものがあった。自分で自分に驚く。そこに明確な理由など何一つないというのに。
 思わず苦笑が零れ、咥えた煙草の先から灰が落ちた。

「天下のルパン様がどうかしてるぜ」

 この世に盗めないものは何もない。手に入らないものなど何もない。今までずっとそう豪語してきたし、どんなことでも自分ひとりで出来ると思っていた。信ずるは己のみ。そんな俺が、幼いころから叩き込まれた哲学を覆し、今、ただ一人の男を心から相棒にしたいだなどと思っているのだから。
 いくら次元が面白い男であるとは言っても真に信頼に足る男かどうかはまた別の話だ。それでも俺は、次元大介という男に心奪われてしまっていた。俺の“相棒”はあの男しかいない。

「…また“早耳”に頼んでみっかなぁ…」

 じいさんに借りを作るのは嫌だったが、また次元と仕事をするためならばそれもやぶさかではないと思えた。そこでまた、小さく苦笑する。

「ホント…どうかしてるぜ」

 どうかしている。

 冷静に考えれば、次元を相棒にするためには越えなければならない大きな問題もある。それは次元大介が殺し屋であるということ。それは俺たちの間に高い壁となって立ちはだかっている。
 俺は殺し屋という職業が嫌いだ。もちろん俺だって人を殺すこともあるのだし、今更、人殺しが“悪いことだから”とかいう薄っぺらな正義感を振りかざすつもりはない。ただ、俺が今まで出会った殺し屋は皆人を殺すことを楽しんでいるような奴ばかりだった。依頼のあるなしに関わらず時には罪もない一般人にだって牙をむく、そんな人種。そんな奴が俺の美意識に反しているというだけだ。
 だが、次元大介という男には、そんな殺し屋特有の狂気のようなものが一切感じられなかった。殺し屋という仕事に誇りは持ってはいるらしいが、同時に、言いようのない罪悪感を持っている。俺にはそう感じられた。でなければ『生きるために殺している』なんて台詞は出てこないだろう。殺し屋であることを誇るだけなら、己の腕を誇るだけの為に殺していると言うだろうし、事実、俺が今まで出会ってきた殺し屋たちは皆そうだった。だが次元は違った。生きるために必要だから。そう自分に言い聞かせているようにしか聞こえないし、何よりその言い方だと、死んでもいいと思ったら殺さないというようにさえ聞こえてしまう。畳みかけられるようにして詰られた時は気付かなかったが、冷静に考えてみればやはりそうとしか思えない。

 次元の生きる理由とはいったい何なのだろうか。殺し屋に身を投じなければならなくなった理由は何なのだろうか。心の奥の闇にはどんなものが眠っているのだろうか。そして、その闇と決別することが出来たなら、もう人を殺さなくなるのだろうか。
 男がどんな人生を歩んできたのか、紙切れ一枚の資料で理解できるわけもない。行動ですらわからないのに、ましてそこで何を考え何を思っていたかなど、所詮赤の他人である俺にわかるはずもないのだ。生きるために殺すんだと言い切った男の心情がどんなものかなど。それはたとえ俺が盗みの英才教育を受け裏社会で生きるべくして育てられた存在なのだとしても。

 堂々巡りになった思考に小さく頭を振って溜息をつく。テーブルの上のカフェ・オレはすっかり冷めてしまっていた。木枯らしに吹かれた俺の身体も随分冷え切ってしまっているし、そろそろ馴染みの女のところにでも行こうか。短くなった煙草の端を噛み、席を立つ。ふと視線を流した道の先に、俺は思いもしなかった姿をとらえていた。
 寒さに身を縮めて足早に道を行きかう人々の群れの中の、黒ずくめの姿。

「…次元?」

 この街に残っていることは知っていた。じいさんに聞いた話ではこの町のマフィアのボス、カルロ・ビアージの個人的な用心棒として雇われたらしい。それにしてもこんなところで見かけるとは思ってもみなかった。漆黒のスーツに特徴的な顎鬚と隙の無い動き。それは間違いなく次元大介その人だが、次元は独りではなかった。その隣には背の高い女の姿。年の頃は二十歳前後だろうか。はっきりとした目鼻立ちに流れるようなブルネットというエキゾチックな顔立ちの美女。落ち着いた枯葉色のワンピースとベージュのコートの裾を翻しながら次元の後を追う、すらりと伸びた手足と姿勢の良さは道行く人の中でも一際目を引く。

「なんでえ。隅に置けねぇの」

 どこか厭世的で克己的な印象のある次元が女と歩いているということにも少々驚いたが、それ以上に俺が驚いたのは。

「…あんな顔も出来るんじゃねぇか」

 初めて会ったときに感じた野生の狼のような殺気は形を潜め、時折彼女に向ける顔は、まるで別人のように優しい。特徴的な外見がなければ次元だとは気付かなかったかもしれないほどに、そのオーラは全くの別人だ。その柔らかい笑みには死神などというふたつ名は到底似つかわしくない。
 その微笑みを遠目に見ながら俺は、心の中で問いかける。どちらが本当のお前なんだ? と。“死神”次元大介は、本当は“死神”なんかではないんだろう? と。俺の直感は間違っていないんだろう? と。お前は、本当は殺し屋などやりたくはないんじゃないのか? と。そう、問う。もちろんそれに答えはないけれど。
 それにもう一つ気になるのは次元にあんな微笑みをさせた女は何者なのかということだ。俺のいるテラスに背を向けて遠ざかっていく二人の背中を見ながら、俺はじいさんにもう少し次元のことを調べさせようと決めた、その時。

「いたぞ!」

 呆然と立ち尽くしたまま思考の世界に身を委ねかけていた俺の目の前に、突然、カフェテラスの角から銃を構えた警察官が飛び出してきた。

「は!? 何!? 俺!?」
「ルパン三世だな! 連続婦女強盗殺害事件の容疑者として逮捕する!!」

 険しい顔をした若い警察官は銃を突きつけたまま、少々緊張しているのか裏返った声でそんな物騒なことを口にする。銃の扱いにもそれほど慣れていないんだろう。両手で握られたグリップ。俺に向けられた銃口はかなり震えてろくに狙いも定まってない。そんな状態ではさして危機感も湧くはずもなく、告げられた罪状も完全に寝耳に水の状態で、俺は馬鹿みたいにぽかんとするしかない。

「連続婦女強盗殺害とか…冗談にも程があるぜ! 何かの間違いでしょ!?」

 堅気と女子供は手にかけないのが俺の信条だ。そんな根も葉もない容疑で逮捕されたんじゃ三代続くルパンの名が泣くというもの。だが警察官はそんな俺の言い訳など聞くはずがない。

「うるさい! 言い訳は全部署で聞く!」

 血走った目をしてじりじりと間合いを詰め、俺に手錠をかけようとするではないか。

「…悪いけども俺様こんなところで捕まるわけにはいかねーんだよっ!」

 俺はそう叫ぶと、銃を下ろし俺に手錠をかけようとした隙を突いてテラスのテーブルを派手にひっくり返し、警察官が度肝を抜かれているうちに一目散に駆け出した。

「待て!」
「待てって言われて待つ奴があるかよ!」

 辺りに響く警笛の音。応援で駆けつけてきたのだろう後から後から増えていく警察官たちの間をすり抜け、大通りをとにかく走る。道端の露天商だの大道芸人だのにぶつかったり突っ込んだりしながら逃げるもんだから道行く人が何事かと振り返るが、そんなものに構っている余裕はない。

 それにしても連続婦女強盗殺人とは穏やかじゃない。当然俺に心当たりはない。あるわけがない。俺は泥棒だが悪党ではないのだ。フェミニストと言われてもいいくらいに女の子は大切にする主義のこの俺が、言うに事欠いて婦女強盗殺害だなんて。誰かが俺を貶めようとしているのは明白。だが誰が。そうは思うがこうも全力疾走していては思考もままならない。

「ルパン! こっちだ!」

 大通り抜け、ダウンタウンに続く細い路地へと駆け込んだ。なんとか後ろの警官たちを撒けないかと息を切らして必死の形相で走っていると、突然伸びてきた手によって横道に引っ張り込まれた。

「な!?」

 驚く間もなく、今度は行き止まりのような路地に転がり込んだ先で、いきなり頭から生ごみ臭いゴミ箱に突っ込まれたではないか。

「ちょ…!」
「いいから大人しくしてろ!」

 俺の抗議の声も無視して乱暴に閉められるゴミ箱の蓋の隙間からそう言ったのは“早耳”のじいさん。とりあえず俺は言われたとおりに息を止め、ゴミ箱に身を潜めた。直後に駆け込んでくる大勢の足音。『おいじいさんここに緑のジャケットの男が来なかったか?』なんて声も微かに聞こえてくる。それにじいさんは適当にとぼけて答えを返したらしく、すぐに足音は遠ざかっていた。

「…もういいぞ」
「ぷふぁーーーーーっ!」

 まったく窒息するかと思った。ゴミの匂いが当分取れそうにない。このスーツはもうお釈迦にするしかねえじゃねぇか。ゴミ箱から脱出しつつそう愚痴るとじいさんは苦虫を噛み潰したような顔になった。

「捕まって豚箱に入るよりましだろうが」
「恩に着る。ところで連続婦女強盗殺人って…」

 そう問うた俺の目の前にじいさんは無言で新聞を突きつける。
 目の前に広げられた1面には俺の凶悪な顔写真が載り、おまけに『殺人鬼ルパン!』などというセンスのない煽り文句で飾り立てられているではないか。

「あれまぁ。ひっでえ写真使いやがって。どういうことよ」
「馬鹿。問題はそこじゃねえだろうが。いいから読んでみろ」

 新聞によれば、ここ半月の間に若い女性が何者かに襲われ所持金や貴金属を根こそぎ奪われるという事件が多発しており、その現場には必ず『ルパン三世参上』と書かれたメッセージカードが残されていたのだという。当初こそルパンが女を殺すはずがないということでそのカードの真偽と証拠性は疑問視されていたものの、こうも事件が続きほかに手がかりが残されていないことから、警察では手を下したのがルパンでないにしても何かしらの形で事件に関与しているという見方を強め、俺を第一級の容疑者として指名手配をかけたのだという。

「なぁるほどねえ」

 それで先程の一幕、ということらしい。

「…まさかとは思うがお前さん」

 新聞を片手に溜息をつく俺に、じいさんはじろりと厳しい視線を送ってくる。

「冗談きついぜじいさん! この俺が堅気と女子供を殺さねえってのはあんたもよく知ってるだろう!?」
「だがそのカード、そいつは俺も見たことがあるぜ。本物じゃねえのか」

 新聞にはご丁寧に犯行声明カードの写真も載っていた。確かに見た目は俺が盗みの予告や犯行の際に使う物に酷似している。

「…よく似てるけど違うな。俺のカードはこっち。角のとこが丸くカットしてあるし、隅のとこの模様がちょーっとだけ違うんだわ」

 ポケットから取り出した俺の本物のカードとよく見比べないと分からないくらいの僅かな模様の違い。本物を持ってる俺ですら一瞬信じかけるほど精巧に作られているのだ。ましてや俺の本物など見たこともない奴らにカードの真偽が到底解るはずもない。

「なるほどな…」
「なあじいさん、俺を嵌めようとしてるやつに心当たりはないのか?」

 俺が聞くと、じいさんはまたも苦虫を噛み潰したような顔になる。

「ありゃあとっくにお前に情報を流してるよ。ルパン坊。悪いことは言わねえからしばらくの間この国から離れろ」
「…忠告はありがたいんだけっどもがよ、俺を嵌めようとした奴に尻尾見せるわけにはいかねぇよ」

 新聞をぐしゃりと握り潰し、俺はにやりと笑って見せる。この俺に喧嘩を吹っ掛けたらどうなるか見せてやろうじゃねえか。そう息巻く俺にじいさんは『言うと思ったぜ』と肩を竦め、それからポケットから取り出したものを俺に投げて寄越す。

「なにこれ。鍵?」
「この裏にあるアパートの鍵だ。荷物は用意してあるから好きに使え。お前さんのヤサは割れてるから当分近づかない方がいいだろうぜ」
「恩に着るぜ、じいさん」
「なあに。お前のじいさん親父さんには散々っぱら世話になったんだ。これぐらいわけねえよ」

 にやりと笑ったじいさんはそっとあたりの様子を伺い『何かわかったら連絡する』と告げ、そそくさと路地を出ていった。

「…あ、いけね。じいさんにあの女のことも頼めばよかったなあ。まあいいか」

 とりあえずシャワーを浴びてこのゴミ臭いスーツを着替えたい。真鍮製の古びた鍵を手に、俺も踵を返した。

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