「どこまで行くつもりだ?」
細い猫目の月の下。街灯もない郊外の道をひたすらに走る車のエンジン音に交じって、助手席に座る男の声が聞こえた。
「いい加減降ろせ。もう俺に用はないだろう?」
「まあそう言うなって。もうすぐフィレンツェの街だぜ。そこまで付き合えよ」
俺がそう言うと、次元は納得したのかしていないのか分からないがむすりと黙り込んだ。
死神の名を持つ男の手を借りた仕事は大成功というわけにはいかず、辛くも逃げ帰ったというような有様ではあったが、それでも獲物はきちんと手に入ったし追っても撒けたのだから一応は成功だろう。次元の言う通りその段階で別れてもよかったのだが、仕事を終えて報酬を渡して『はい、さようなら』では少々惜しい気もしたし、まだ聞きたいことがいくつかあったから、俺は適当に理由をつけて車を走らせ続けていた。
ダッシュボードの上に載った宝冠が、薄い月明かりを浴びて微かに煌めいていた。
夜明け前の街は未だ暗く、街灯だけがぽつりと明かりを灯している。遠くにそんな街の明かりが見え始めて、俺はアクセルを緩めた。
「お前、次の仕事は決めてるのか?」
少しだけ静かになったエンジンの音。沈黙の時間がなんとなく落ち着かなくて、気になっていたことを問うてみることにする。
「いいや」
すると、そっけなく短い返事が返ってきた。相変わらず聞かれたことにしか答えない寡黙さ。おしゃべりの部類に入る俺としては会話が続かないってのは結構ストレスなんだけど、そんなことでへこんでいる場合でもない。
「じゃあまた俺の仕事手伝ってくれよ」
冗談交じりに聞こえる程度の気軽さで、でも本心では本気でそう言ってみた。
「断固お断りだ」
俺の言葉に被るぐらいの勢いでの即答。運転している俺には次元が帽子の下でどんな顔をしているのかまでは見えない。
「どうして」
「どうしても」
取りつく島もないとはこのことだろう。俺の要望をぴしゃりと断り、次元は短くなった煙草を灰皿に押し込む。そのままポケットに手を突っ込み探し当てた煙草の箱は空だったらしく、小さな舌打ちと共にくしゃりと握りつぶされた。
「ん」
「なんだ」
俺が自分のポケットから出した煙草の箱を差し出すと、次元がじろりとこちらに視線を寄越すのがわかる。
「やる」
「いらねぇ」
「なんで」
「ジタンなんか喫えるか」
そう言いながら灰皿の中から自分の吸い殻を引っ張り出してシケモクに火を点けるから、俺はそれを横目に苦笑するしかない。
次元が人一倍こだわりが強い好みの煩い男だということは、一緒に行動をしているうちに徐々に分かってきた。
例えば、煙草ならばポールモール。アメリカ産の赤い箱を愛煙し1日60本という驚異的な量を消費するヘビースモーカー。俺も人のことをとやかく言えた義理ではない程度の喫煙者だという自覚はあるが、それ以上。俺といる間中ずっとひっきりなしに吸っているのだから、多分この調子で食うとき寝るとき以外ずっとなんだろう。これはもうチェーンスモーカーと呼んだほうがいいだろうと思う。
スーツならば黒。メーカーまでのこだわりはないようだったが、墨のような闇のような黒であることは譲れないらしい。そして俺のカラフルなジャケットを見ては俺を変人扱いするのだ。
酒ならばウイスキー。それもスコッチウイスキーが好みのよう。それをストレートでというのが次元の流儀らしい。
そして、銃ならばS&W19。通称"コンバットマグナム"とも呼ばれる、今時プロが使うには珍しい回転式拳銃<リボルバー>。高威力の357マグナム弾を撃てるという利点はあるものの、弾数はたった6発。自動拳銃<オートマチック>全盛の時代にあってなお頑なにリボルバーにこだわるのは、正確さを重視するプロ意識の表れでもあるだろうが、それ以上に次元の趣味のせいでもあるようだ。尤も、デメリットになる少ない弾数も腕でカバーすればいいだけの話ではあるのだから、次元に限っては全く問題ないだろう。
そう。間近で見せられた次元の銃の腕は噂以上のものだった。もちろん計画の重要な部分を任せるその腕を信用していなかったわけではないから、俺の期待以上だったというべきだろうか。暗視スコープ着用で20mの距離にある的をマグナムでいとも簡単に撃ち抜くのを間近に見せられては、手放しで称賛するほかない。正確無比なその腕ならば、ワンホールショットやホールインワンショットさえもお手の物だろう。世界一のガンマンの呼び声が高いのも頷ける。
次元大介という男の腕は俺の仕事の助けになる。この仕事で俺はそう確信していた。この腕は人殺しにだけ使うにはあまりに勿体ない。
俺は今回、早耳のじいさんに頼んで次元大介のこれまで関わってきた仕事や経歴を調べてもらっていた。ひとつには、じいさんが次元のことを“本物の死神”と呼ぶのが気にかかったというのもあるが、それ以上に単純な好奇心からの部分も大きい。
生憎と受け取った資料は報告書とも呼べないメモ紙のようなお粗末なものだったが、次元という男の素性を少しだけ垣間見ることは出来た。
詳しい生まれも育ちも一切不明で、十代のある時期にとある傭兵部隊に所属してたらしいというところからメモは始まっていた。なるほど、銃火器なんかにも詳しいのはその時に身に付けたスキルなのだろう。傭兵部隊を除隊後はマフィアやシンジケートの用心棒や殺し屋として転々といているらしいが、こちらも詳しくはわからなかったようだ。渡り歩いた組織の中にはいくつか見知った名前もあったが、そこで何をしていたかまではわからなかったようだ。とはいえ裏社会では誰もが知る有名な組織に雇われていたこともあるらしいから、やはり次元という男は只者ではないのだ。
では何故これほどの腕を持ちながら、そのようなマフィアやシンジケートのの用心棒だの組織の殺し屋だのという、いわば“汚れ仕事”に甘んじているのか。何かあれば真っ先に切り捨てられる雇われ者。リスクばかりが高く何の見返りもない、悪戯に危険ばかりが伴う仕事に。実力はあるのだ。望みさえすれば受け入れようという組織はいくらでもあるだろう。それでも次元が今の位置に甘んじているということは、次元自身がそうされることを望んでいないということなのだろう。
組織に大人しく飼われるようなタイプではないのは確かだ。頑固だし人の言うことに諾々と従うのが嫌なへそ曲がりタイプ。その点では俺もそうだからかなり共感するところはある。だが短期間で組織から組織を流れ歩くのには、それとはまた別の理由があるのではないか。俺にはそんな気がしてならない。
「そういや気になってたんだけっどもがよ、泥棒稼業は今回が初めてか?」
そう問うと、次元はまたも灰皿を漁りながら「いや?」と答え、それから少し考える素振りを見せた。
「何度かある。知り合いに頼まれて助っ人をしたんだ。まぁ俺の仕事は逃走のサポートだったからな。用心棒と大してかわらねぇから受けた」
「ふうん、じゃあなんで俺の仕事は受けたんだ? 用心棒とはちょっとばかり違うタイプの仕事だったろう?」
そう尋ねると派手に鼻を鳴らして舌打ちまで。
「俺が断る隙を与えなかったのはお前だろうが」
「そうだっけか?」
空とぼけてみるが、何としても次元の腕を見たくて少々強引に断る隙を与えなかったのは確かだ。それは次元にもお見通しのようだ。
「今回みたいな仕事は二度とやらねぇ」
ぼそりと呟く。
「なんで」
「俺には殺し屋の方が向いてるからな。泥棒の真似は性に合わねぇよ」
その言葉に、俺はすうっと頭の芯が冷えたようになるのを感じていた。殺し屋に向いている。この男は本気でそう思っているのだろうか。
「…次元」
低い声で次元の名を呼ぶ。
「何だ?」
灰皿から引っ張り出した吸い殻に火を点け、次元がこちらを見る。俺の声色が変わったことに気付いたらしい。俺はゆっくりと口を開くと、聞かねばならぬと思っていたことを口にした。
「…なんであの時、警備員を殺した?」
仕事の終わりは俺が望んだ結末ではなかった。不必要な殺しはしない。それは俺の信条だったし、共に仕事をする次元にも許したくはないことだった。
次元の腕ならば急所を外すことだって簡単にできたはずだ。だが次元はそうしなかった。急所を狙って、心臓と眉間という確実に命を奪える場所に弾丸を叩き込んでいた。
猫目月の下で繰り広げられた出来事が脳裏にまざまざと蘇る。四方から向かってくる警備員たちに銃口を向け、流れるように引き金を引く姿は華麗とさえ言えるほどで、うっかり見惚れてしまいそうになった。撃たれた男達は自分の身に何が起こったのかさえわからなかっただろう。一瞬の出来事がまるでスローモーションで演じられる演劇のようにすら見えた。鳥肌が立った。そんなことは初めてだった。
俺はこれまでにたくさんの人間を見てきた。人殺しが3度の飯よりも好きだというような殺し屋にも何人も会ってきた。そんな男たちの中にあった狂気のような部分、黒い残忍な部分、一度でも人を殺したことのある人間ならば必ずどこかに持っているであろう、人の命を奪う快感を知った人間ではない部分。だが、そういうものが次元大介という男には一切見えなかった。ただ華麗に、そして淡々と演じられるそれはまるでそうすることが義務であるかのように見えた。そうなることが運命ででもあったかのように。そうなることが至極当然であるかのように。
「俺は殺すなと言ったはずだ。何故、殺した?」
次元は俺の問いを冷ややかに口の端で笑っただけだった。答えることもせずただ煙草の煙を燻らせ続ける。
「答えろよ」
そんな様子が癇に障った俺は強い口調でもう一度問うた。すると。
「…俺がやらなきゃ今頃は俺もお前も警察の塀の向こう…いや、下手すりゃ命もなかっただったろうぜ」
煙草の端を噛みしめて淡々とそう口にする。まるで明日の天気の話でもするかのように。
「俺は止めたはずだ」
「そうだな。お前は止めた。けどよ、お前が何と言おうと俺にはお前の酔狂に付き合って死ぬ義理はねえんだ。俺は俺が生き延びるために殺しただけだ。それにな」
そこで言葉を切った次元の唇がすうっと吊り上がるのが視界の端に映る。その瞬間俺は、次元が目の前で警備員たちを殺したときにすら感じなかった、頭から冷水をかけられでもしたかのような恐怖を感じた。それが、お前の死神の顔だというのか。人殺しの狂気だというのか。俺は思わずブレーキを踏み込み、車を停めた。いつの間にか車は街の中に入っていた。ぽつりと灯った街灯の光に照らされた次元の顔を、俺は正面から見詰める。
「お前は俺の人殺しの腕を買った。違うか?」
口元に冷やかで邪悪な笑みを湛え、帽子の下に隠された瞳が真っ直ぐに俺を捕らえる。その黒い瞳はこれ以上ほどないほどに冷たく、俺ではないここではないどこかを見つめている様に見えた。それがお前の本性だというのか。わからない。俺は酷く混乱していた。俺の中で作り上げられかけていた次元大介という男の像が黒い靄に包まれて崩れていく。
「違う。俺が買ったのはお前の銃の腕だ」
「何が違う? 同じことだろう? 銃は人殺しの道具だ。それ以上でもそれ以下でもない」
次元は畳みかけるようにして言いながら、煙草の火を乱暴に窓ガラスに擦り付ける。
「天下のルパン三世がこんなにも甘い男だとは思ってなかったぜ。まあ警報装置も把握せずに忍び込むぐらいの阿呆だしな。もう少しまともな男だと思ってた俺が馬鹿だったみてえだな」
今までの寡黙さが嘘のように、饒舌に語られる言葉には憎々しさが溢れている。だが俺には、それが次元の本心なのかどうなのかがわからない。激しく言葉を叩きつける姿のどこかに酷く冷静な部分も見え隠れしているような気がするのは、俺の気のせいなのだろうか。それとも俺の願望がそう見せるのだろうか。
ただの人殺しであって欲しくない。そんな俺の願望が。
「今更何を言ってんだ? 殺らなきゃ殺られる。それがこの世界の掟だ。そうだろう? 俺はそうやって生き延びてきたしそうやって死神と呼ばれてきた。その死神を雇ったのはお前だ。俺の手が借りたいと言ったのはお前だ。俺は俺の仕事を全うしただけだ。お前に文句を言われる筋合いはねぇ。それが嫌なら他所を当たるんだな。俺は、二度とお前とは仕事をする気はねぇ」
一気呵成に吐き捨てると、次元は乱暴に助手席のドアを開けた。凍えるような冷たい空気が車の中に吹き込んでくる。
「待てよ次元! まだ話は…」
引き止めようと俺が伸ばした手は、しかし、瞬時に振り払われた。
「…気安く俺に触るんじゃねぇ」
地の底を這うような低い声でぴしゃりと言われてしまっては、俺は渋々ながら手を引くしかない。
「俺はな、ルパン。お前みたいな奴が大嫌いなんだよ。おしゃべりで軽薄でへらへら甘っちょろいことばっかしてる楽天的な奴が。お前みたいな奴が天下の大泥棒だなんて聞いて呆れるぜ。本当に…もっとマシな奴かと思ってたのによ! じゃあな」
俺はそんな次元の後ろ姿を見ながら、今の自分には引き留める術がないことに溜息をつくしかなかった。
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