狭い排気ダクトを伝って目的の部屋までたどり着いた。だだっ広い大広間の石造りの堅牢な壁が冷たく俺たちを迎え、広間の毛足の長い絨毯は踏みしめた微かな足音までもを静かに吸い込んでいく。暗闇の中、耳が痛いほどの静寂。

「あれだ」

 俺の耳元で囁く声がした。そう言って、隣に立った男―――ルパンが指し示したのは、俺たちがいるところから20mほどの長い廊下の対岸で不気味に光る、警報装置の赤いランプ。目指す金庫はその向こうで、警報装置を破壊しない限り一歩でも廊下に足を踏み入れた途端、金庫に辿り着く前にハチの巣になる仕掛けだ。事前に説明を受けていた通りだが、予想以上に辺りが暗いのは少々気にはかかる。だがそれも大した問題ではない。

「出来るか?」

 俺はルパンの問いには答えず、黙ってマグナムを構えた。



2. side-JIGEN





 数日前に突然持ち掛けられた仕事は、俺が思ってもみなかったものだった。

『ルパン三世という泥棒が銃の腕がいい奴を探しているから手を貸さないか?』

 呼び出された安酒場の隅で、顔見知りの情報屋のじいさんは俺にそう問うた。
 俺は裏の世界では少しは名の知れたガンマンで、用心棒や殺し屋などという拳銃稼業で生計を立てている。頼まれれば大抵のことはやるし、俺の銃の腕が必要というのなら手を貸すことはやぶさかではないが、それにしても泥棒の手伝いというのはあまり気乗りはしなかった。だから、そう伝えてくれと言って断ったのだったが。

「…あんたも大変だな」

 どうやらルパンという男はとんでもなく諦めの悪い男らしい。断ると言っても頑として帰ろうとしないじいさんは、しまいにはかなり切羽詰まった顔をして『お前さんがこの仕事受けてくれるまで儂は帰れねえんだ』とか言い出すから、俺も呆れるしかない。

「頼むからあいつの話だけでも聞いてやってくれ。とにかく儂の言うことなんか聞きやしねえんだ」

 別に俺はじいさんに同情したわけでもなんでもないのだがこのまま延々と付きまとわれるも面倒だったので、とりあえず依頼人本人から話を聞くことにした。
 それに、俺はルパンという男に興味を持ち始めていた。
 誰もが名前を知る大怪盗アルセーヌ・ルパンの孫だとかいう男。ルパンの孫という呼び方が妥当なのかどうなのか、ここ最近になってその名前を聞くようになったが、今では裏世界のみならず世界中の人間がその名前を知っているのではないだろうか。それぐらい、奴の名前を新聞やニュースで見かけない日はない。派手に名前を売り、素人からは半ば英雄扱いをされ、そして裏世界の住人からはその素行が悪人の風上にも置けないと言って鼻摘み者扱いをされる男。そんな男が俺の腕を欲しているとは、面白いではないか。
 だから、断るのは仕事の中身を聞いてからでも遅くないだろうと、そう思ったのだ。

 ルパンという男は一目でわかった。派手な色のジャケットを着た男は、呼び出された安酒場の中で明らかに周りの人間とは違う風格を持っていた。妙に人懐こい印象を与える大きな黒い目がじっと俺を見詰めてくる。そこに浮かぶのは、好奇心以外の何物でもない。なるほど。ルパンにとっても俺は未知の存在らしい。

『ルパン三世だ』

 柔らかく特徴的な声で名乗り、差し出された手。だが、俺はその手を取らなかった。まだこの仕事を受けるかどうか決めていなかったということもあるが、それ以上に妙に気さくで気安く見えるこの男に酷く警戒心を抱いたからだ。
 ルパンという男は、それまで俺が出会ったことのないタイプの男だった。裏の世界の人間特有の卑屈さや暗さや腹黒さのようなものが全く感じられず、剽軽で、時に軽薄にすら見えるほど警戒心というものがなく馴れ馴れしい。だがそんな掴みどころのない姿が、果たしてこの男の本性だとは到底思えない。そんな奴がこの生き馬の目を抜く世界で生き延びてなど来れる筈がないからだ。

「お前さんには20m先の警報装置を拳銃で破壊してもらいたいんだ」

 そんな風に警戒する俺を知ってか知らずか。ルパンは初対面で挨拶もそこそこにいきなり本題に入るというとんでもない図太さを披露した。再三言うが、こうやって面会している時点で俺はこの仕事を受けるかどうか決めてはいない。それはルパンにだって伝えてあるはずなのに、俺が断るだなんて露程も思っていないのかいきなり計画の核心を披露するもんだから、もし俺がこの情報を他に流したらどうするんだと首を傾げたくなる。一体何を考えているのだか。掴みどころがないにも程がある。俺がそんなことに頭を悩ませているうちにも、ルパンはぺらぺらと計画の詳細を説明し始めた。
 場所は個人所有の古城を改造して作ったというとある美術館で、狙いは、収蔵品の中でも通常は大金庫に収められて展示に出されていない宝冠。今まで何人もの泥棒が盗みを試みそのたびに失敗してきた、業界ではなかなかに有名な代物だという。

「ただ、俺様金庫を開けるのは得意なんだけっども、その前にこの警報装置を黙らす方が少々厄介なんだよな。それでお前さんの力を借りたいわけ」
「…拳銃じゃなきゃ駄目なのか?」
「進入路が狭すぎんだ。あんまりでかいもんは持っていけねえんだよ」

 俺の素朴な疑問はあっさりと一蹴され、ルパンは図面を指でなぞりながらへにゃりと口を曲げた。
 標的となる城は敷地が広大ということもあってか人的警備は少ない。だがその代わりに敷かれたコンピュータ管理の警備網はかなり厳しく、その隙を突こうとすると大人の男が一人やっと通れるぐらいの換気ダクトの中をひたすら這って金庫前の広間まで行くしかないのだという。当然そんなところではライフルだのなんだのを背負っていくだけで一苦労だ。

「俺でもやれないことはないと思うんだけっども一発で当てなきゃならねえってのがちょっとな…どうだ?」

 まるで俺が断るわけがないという口調に、俺は覚悟を決めて頷くしかなかった。





 暗視スコープをかけ直しながら、そんな数日前のやり取りを思い出す。『頼んだぜ』と囁いて、ルパンが弾の確認をする俺の肩を叩いた。
 一般的に拳銃の有効距離は10m前後と言われているが、これはきちんと狙って当たる距離の話だ。的が動いてないことを考慮に入れても、20mといえばプロでも一発で当てれるかどうか微妙なところになってくる。それなりの腕をしているらしいルパンが自信がないと溢すのも解らないではないが、そこはそれ。俺にとっては大した問題ではない。腰の後ろから愛用のマグナムを引き抜き、大きく息をついてからゆっくりと照準を合わせる。一瞬の静寂。そして乾いた銃声と共に、標的はあっさりと沈黙した。
 警報装置のランプが完全に消えたのを確認してから、俺はマグナムを元に戻し、暗視スコープを外した。ゆっくりと廊下に足を踏み入れるが、当然警報も鳴らなければ機関銃の洗礼を受けることもない。

「すっげー! お前すげえな!」

 背後から聞こえた興奮気味の声。振り返ってみればルパンは子どもみたいに目をキラキラさせているではないか。

「…大したことじゃねえ」

 ぶっきら棒に答えると『すげーんだから照れなくてもいいだろーが! 褒めてんだぞ!』なんて言われた。本当に面倒くさい男だ。俺は自分に与えられた仕事をしただけだ。褒められるほどのものでもなければまして照れるようなことではない。パン屋が焦がさずにパンを焼こうが、銀行員が金の計算を間違えずにやろうがそれはもう当たり前で、誰もそれを褒めたりしないではないか。それと同じだ。というか。

「…おい、どうでもいいがさっさと金庫を開けたらどうだ。得意なんだろう?」

 仕事中だというのに、この男からは緊張感の欠片も感じられないのが俺には信じられない。少々苛つきながら皮肉交じりにそう言うと。

「そいつは任せて頂戴!」

 答えるが早いかルパンは軽やかに足音もなく俺の横をすり抜けて長い廊下を走る。ぴたりと金庫の扉に耳をつけ、おもむろにくるくるとダイヤルを回し始めたと思ったら、あっという間に金庫室は開いた。これには俺が目を丸くする番だった。本当に鍵がかかっていたのか? それとも番号を知っていたのか? と言いたくなるほどの早業だ。

「…さすがだな」

 たどり着いた扉の前で思わずそう溢すと、耳ざとくそれを聞きつけたルパンがにやりと笑った。

「お褒めに預かり光栄」
「…別に褒めてねえ」

 するりと金庫室の中に入るルパン。すぐにお目当てのものを見つけたらしく、宝冠を頭にひょこりと顔を出した。

「楽勝楽勝! さあずらかるか」

 ルパンが口笛交じりにそう口にしたその時。
 突然、耳をつんざくような警報が鳴り始めた。石造りの建物に反響してけたたましく鳴り続ける。

「な…!」

 絶句する俺。警報装置は完全に破壊したはずだ。何故このタイミングで!? 予測もしなかった事態に狼狽える。警備員だろうか。足音と叫び声がぐんぐん近づいてくるのが聞こえてきた。ここで捕まるわけにはいかない。俺とルパンはその声とは反対方向へ弾かれたように走り始めていた。

「おい! 警報装置はあれだけじゃなかったのか!?」

 走りながら少し先を行くルパンにそう問うと。

「10日前に俺が調べた時はあれだけだったんだ! 警備装置の情報が漏れたのに気付いて、金庫の中にも新しいのを取り付けたんだろうぜ」

 それを聞いて俺は心の中で舌打ちする。詰めが甘すぎる。一瞬でもこの男の手際に舌を巻いた自分が馬鹿らしい。

「いいじゃねえか! だってこの方がだってスリルがあるだろ?」
「ふざけるな。俺はお前なんかと死ぬ気はねえぞ!」

 この絶体絶命の状況でもなおそんなことを言ってへらへら笑う男に、俺は怒りを通り越して呆れるばかりだ。これが稀代の大怪盗ルパン三世だと? こうなると、今まで死なずに捕まりもせずに大泥棒なんて呼ばれてたのも、ただ単に運がよかっただけなんじゃないのかと疑いたくなる。俺はこの仕事を引き受けたことを激しく後悔していた。冗談じゃない。スリルなんかどうでもいい。俺はこんなところで捕まるのも死ぬのも御免だ!
 後ろから近づいてくる足音が増えていくのに焦った俺は、腰からマグナムを引き抜く。だが。

「駄目だ! 殺すな!」

 それに気づいたルパンがぴしゃりと叫んだ。

「俺に任せろ!」

 有無を言わさぬ強さで言われ、俺は不承不承マグナムを仕舞ってその背中を追う。迷路のように入り組んだ広い建物の中を縦横無尽に身軽に走り回るルパンは、この城の見取り図を全て把握しているのだろうか。一体どこへ向かおうとしているのか。俺も体力には自信のある方ではあるが、だんだんとその背中についていくだけで精一杯になりつつあった。四方八方から湧いて出る警備員達は、どこから湧いて出たのだと思う程にどんどん数を増していくようで、そこかしこから怒声と足音が響いている。逃げ回るだけで状況が打開される様子はまるでない。焦りだけが募る。

「…っ!! しまった!」

 そんなことを考えながら走るうち、それがルパンの意図だったのかそれとも警備員たちの罠だったのか分からないが、追われた俺たちは四方を回廊に囲まれた中庭に足を踏み入れていた。同時に後ろだけではなく前と左右からもそれぞれから武装した警備員たちが姿を現す。これでは完全に袋の鼠。もはや、猶予はない。

「おい次元、落ち着けって!」

 隣でルパンがそんなことを言うがこれで落ち着いていろという方が無理だろう。
 中庭のほぼ中央に立った俺たちを囲むようにして建物の奥から姿を現す男たちは、前後から3人ずつと左右から2人ずつ。今ならまだやれる。俺は自分たちに銃口が向けられるのを感じて、再び即座にマグナムを抜き放った。ルパンが何と言おうが、奴に命令される覚えも従わねばならぬ義理もない。俺には自分の命の方が重要だ。死なないためには、相手を殺すしかない。それが生き残るための唯一の方法だ。

「よせ次元!」

 ルパンの制止など聞かなかった。
 流れるように引き金を引いて片っ端から警備員に弾丸を叩き込み、即座に空の薬莢を外してスピードローダーで再装填。その間に体勢を変えて、残りの警備員も次々に地面に沈めていった。最後の男が地面に倒れ込んだのと、俺がマグナムを仕舞ったのはほとんど同時だった。全部が終わるまでに10秒もかからなかったのではないだろうか。すべて弾は眉間か心臓を打ち抜いていて、男たちは自分が被弾したことすらも判らないうちに死んでいったはずだ。
 雲間から顔を出した猫の目みたいに細い月。そのほの白い光に薄く照らされて、よく手入れされた芝生の上にどす黒い血の海が広がっていく。硝煙と混じった濃い血の匂いに、ルパンが苦い顔になるのが見えた。今までの飄々とした様子からは想像もできないほどに暗く深い目が俺を見据えてくる。人懐こさの消え去った大きな瞳は何の感情も映さず、俺はその深さにぞくりと背筋が粟立った。

「…行くぞ。すぐ次の追手が来る」

 動揺と瞬間的に感じた恐怖を悟られまいと何事もなかったかのようにしてマグナムを仕舞い、俺は横たわる男たちとルパンに踵を返す。ルパンが後ろで何かを呟いた気がしたが、俺には聞き取れなかった。

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