泥棒と死神の円舞曲

 その男に初めて出会ったとき、俺はそいつのことを、獣みたいな奴だなと思った。
 上背がある分華奢には見えないが、どちらかといえば細身の身体つき。体型にきちんとあったスーツは闇のような黒。ブランド物というわけではなさそうだったが仕立てはいい。黒いボルサリーノの下から時折ちらりと覗く目は黒く鋭く、その視線は俺を射殺そうとせんばかり。静かな動きは無造作でありながら音も無駄もなく、しなやかで隙がない。
 そんな男の姿に、俺はいつだったか見た黒豹の姿を脳裏に思い浮かべていた。

「…次元大介だ」

 バリトンに響く渋い声は酒場の雑踏の中でも不思議と良く通り、俺の耳にすんなりと馴染む。
 ぼそりと呟かれた名前はもちろん知っている。暗黒街一のガンマン。“死神”のふたつ名を持つ男、次元大介。裏の世界で仕事をする人間で奴の名を知らなかったとしたら、そいつはモグリだ。死神の名に違わずその拳銃の標的となって生き延びた人間はいないと聞く。
 名前からすれば日本人なのだろうが、東洋人にしては彫が深い。一概に二枚目と呼べるタイプではないけれども、一度見れば忘れようもない印象的な顔立ち。渋い声とも相まって、女にもよくモテるだろうなと思う。どういうわけか女ってのは、この手のちょっと影のある男に惚れやすいもんだ。
 酒場の空調の僅かな風が次元の癖のある黒く長い髪を揺らし、奴の咥えた煙草の、かすかに甘い香りを運んでくる。煙草を取り出す時に一瞬見えた赤い箱はポールモール。趣味は悪くない。

「ルパン三世だ」

 よろしく。そう言って俺が差し出した手を一瞥し、次元はほんの一瞬、帽子の下から戸惑ったような表情を見せる。俺から握手を求められるなど想像もしていなかったという顔だ。

「…ぁあ」

 曖昧に答えてふいっとそのまま俺から視線をそらす。結局、俺の手は取られることなく宙を掻いただけだった。ただの仕事仲間と慣れ合うつもりはないってことか? なかなか面白い奴。

「よろしく頼むぜ、相棒」

 冗談めかしてそう笑うと。

「…てめぇと慣れ合うつもりはねぇ。二度と、気安く俺のことを相棒だなんて呼ぶな」

 案の定、次元はじろりと俺を睨み付け吐き捨てるようにしてそう言い、また、プイと横を向いた。益々面白い。

 それが。
 俺・ルパン三世と、のちに唯一無二の相棒になる男・次元大介の出会いだった。



1.side-LUPIN





 始まりは数日前。スイスとイタリアの国境近くにある小さな田舎街でのことだった。

「なぁ、腕のいいガンマンを探してるんだけどよぉ」

 誰かいい奴知らねぇか。酒の席でのそんな俺の問いに、差し向かいで飲んでいたじじいが怪訝な顔を見せた。
 “早耳”なんて呼ばれるじいさんは俺の親父や爺さんの代から付き合いのある情報屋で、俺の駆け出しのころからの仕事馴染み。ふたつ名の通り、その情報は誰よりも早くて正確。もちろん情報料は人一倍高いが、それだけ払うだけの価値のある情報を持っている凄腕だ。

「新しい仕事か?」

 グラスを手に、じろりと伺うようにしてこちらを見上げる。もちろん俺から得た情報だって、ほかの奴に高く売る。それで生計を立てているのだから俺にそれを止める術はないし、そこまで計算をして情報の売り買いをするのがプロってもの。まさに狐と狸の化かし合い。この世界じゃ他人の裏を掻いたやつが生き残るんだ。

「ああ、今度の仕事がちょっとばっかし厄介でな。使える奴が欲しいんだけど」
「ガンマンか…。どれくらいの腕が要る?」

 ふうむ、と思案気な表情でグラスを揺らす。溶けた氷がグラスにあたってカラカラと音を立てた。宙に視線を漂わせながら、どうやら候補を選んでいるらしい。

「俺と同じくらいかそれ以上」
「馬鹿言ってるんじゃねぇよ」

 俺は大真面目に答えたのに、間髪を入れずに鼻で笑われた。なにせ爺さんの代からの知り合いだ。俺のことも赤ん坊の頃から知ってるせいで、こうやって軽くあしらわれるのが腹立たしいが、致し方あるまい。

「なんで」

 俺が問えば、じいさんはまたフンッと鼻を鳴らしてグラスに口を付けた。

「あのなあ、ルパン坊」

 呆れたように言いながら、ごま塩色の口髭の先に付いた酒の雫を血管の浮いた分厚い手が乱暴に拭う。

「…なあじいさん、頼むからそのルパン坊って呼ぶの止めてくれって。何回言ったらわかるんだ」
「やかましい。儂はお前のおむつだって替えたことがあるんだぞ。あのな、それぐらいお前さんとは長ーい付き合いだし、だから儂はお前さんの腕だってよーく知ってる。お前と同じかそれ以上の腕を持った奴がそうそうフリーで仕事を探すようなことをしてると思うか?」

 そんなわけないだろうが。呆れたように言われてしまう。確かにそれはじいさんの言う通りなのだが、そんなことは俺だって最初から分かっているのだ。

「だから、あんたに聞いてるんじゃねぇか。今まであんたに聞いて分からなかった情報はなかっただろう?」
「無理無理。今回は計画を変えるんだな」

 取りつく島もないとはまさにこのこと。だがここで諦めたのでは次の計画は進まない。なんとかならないかと、思案しながら煙草を咥えテーブルの上に置いていたジッポに手を伸ばすが、オイルが少なくなったのなかなか火が点かない。と。

「………死神」

 不意に。俺がいらいらとライターを擦る音に混じって、じいさんが小さく呟くのが聞こえた。

「は?」
「いや、なんでもねえ。忘れろ」

 反射的に聞き返した俺に、じいさんは慌てた様にぶんぶんと手を振る。独り言のつもりだったのだろうか。それともよもや俺が気にするとも思わなかったのか。だがもう遅い。

「…聞いたことあるぜ。“死神”…な。有名なガンマンじゃねえか。忘れてたぜ。かなりの腕なんだろ?」

 ここ最近よく噂を聞くガンマンは“死神”なんていう物騒なふたつ名を持っているらしい。噂が本当ならば特定の雇主だの相棒だのはおらず、流れで用心棒だの殺し屋だのをしていると聞いたのだが。噂だけが独り歩きして誇張されやすいこの世界でも、死神の腕に関する噂はあながち噂だけではないらしい。殺し屋は嫌いだが、奴の腕には興味がある。いつか一度は会ってみたい、なんなら一緒に仕事がしてみたいと思っていた男だ。
 だが。

「あいつは止めとけ」

 俺がその名を口にすると、途端にじいさんは苦虫を噛み潰したような酷いしかめ面になった。

「なんで。そいつの名前を出したのはあんただろうが」
「そんなつもりじゃなかったんだ。忘れろ。あいつだけは関わるなルパン坊。これは儂の忠告だ」

 答えるじいさんはしかめ面のまま。おかげでただでさえ強面の顔が、子供なら一目見ただけで泣き出しそうな酷い凶相になっちまってる。が、こうなっては俺だって諦めるわけにはいかない。凄腕のガンマンを味方につけれるかどうかに今度の仕事の成功はかかっているのだから。

「金ならいくらでも出す。“死神”のことを教えろよ」

 俺もマジな顔でじいさんに詰め寄った。そのまま無言の睨みあいが続く。そして。

「……金はいらねえ。お前と儂の仲だ。だが、大したことは知らねえぞ」

 先に根負けしたのはじいさんの方だった。深い溜息。それからグラスに酒を注ごうとして、手元の瓶が空になっていることに気付いたらしくカウンターに向かって手を挙げた。それに気付いたウエイターがすぐに栓を開けた新しい瓶を持ってくる。

「おい」
「…ああ、死神の話だったな」

 黙々と酒を飲み始めるじいさんにしびれを切らした俺が水を向けると、じいさんはようやく億劫そうに口を開いた。余程死神について語りたくないらしい。いったい何だというのだ。

「腕はいいんだろう?」
「…腕は恐ろしくいい。今この世界であの男と互角にやれるガンマンはいない。そこは儂が保証してやる」
「じゃあ…」

 畳みかけるようにして口を開きかけた俺。だがその言葉はじいさんのとんでもない言葉で掻き消された。

「…あいつは本物の“死神”だ」
「…………はあ…?」

 じいさんの言葉からたっぷり十秒近くのち。しばらく呆けた挙句に俺は間抜けこの上ない返事を返してしまった。それにしても意味が判らない。

「どーゆーこと」
「あいつに関わった奴は次から次に死んだり大怪我したり…とにかく良くないことが起こるって専らの噂だぜ」

 咥えたまま短くなっていた煙草の先から灰が落ちる。俺は慌てて灰皿に押し込んで火を揉み消した。本当の“死神”? そんなものが存在するわけがないではないか。何なんだその小学生の怪談みたいなノリは。俺はじいさんが冗談を言っているんだと思って『またまたあ。なーに言ってんの馬鹿馬鹿しい』なんて茶化すように言ったのだが、じいさんは強張った表情に薄らと恐怖すら滲ませた顔で俺を睨み付けてくる。

「あいつだけは止めとけルパン。お前も死ぬことになるぞ」

 真剣な声色。長い付き合いだ。俺のことをいつものようにルパン坊と呼ばなかったことからも、じいさんが今回はマジだってことはよくわかる。だが。

「…やなこった!」
「ルパン!」

 俺はじいさんの制止はあっさりと一蹴した。途端に椅子から飛び上がらんばかりに気色ばむじいさんを押し留める。

「あんたもよく知ってるだろ? 俺様は止めろと言われた方が燃える男なんだぜ?」

 面白いじゃねえか。この世界に“死神”なんてもんが本当に居るはずがない。たとえ男が本当に死神なのだとしても、この天下無敵のルパン様がそんなものに負けるはずがないではないか。
 にやりと不敵に笑ってやると、俺のことをよく知るじいさんはこれ以上止めても無駄と思ったのか、溜息をつきながら小さく頭を振った。

「…お前がどうしてもって言うんなら話は通してやるよ。だが儂は忠告したぞ」
「サンキュ。恩に着るぜ」
「あんまり期待するなよ。何しろあの男は頑固な上に人嫌いで有名だ」
「そこがあんたの腕の見せ所だろう?」
「儂は情報屋だ。交渉人じゃねぇ」

 憮然とした表情で唸るじいさんをいなして、俺は空になっていたじいさんのグラスに酒を注いだ。

「…そういえばルパン坊」
「なんだよ?」

 ふと、じいさんが思い立ったように話題を変えた。

「…お前さんここのところ随分派手に仕事をしてるみてえだな」
「それほどでもねぇと思うけっどもな?」

 新しい煙草に火を入れながらそらとぼけて答えた。じいさんはそんな俺の答えが気に入らなかったのか、ジロリと睨みあげてくる。

「この間の大英博物館。あれもお前さんの仕業だろう? 今度はガンマン雇って何を企んでる?」

 情報屋の本領発揮というところか。いくら長い付き合いでも情報屋さんには簡単に手の内を晒してはやらないぜ。

「ぬふふ。そこんとこは企業秘密ってもんよ」
「ふん。たまにはよそに売れるいい情報でも流しやがれってんだ」

 ぼやくじいさんに向かって俺はにやりと笑ってやった。
 “死神”がどんな男かは知らないが、いつかは仕事をしてみたいと思っていた男だ。今度の仕事はきっと最高のものになるだろう。漠然とそんな予感を抱きつつ、俺はグラスの酒を飲み干した。


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