月明かりが降る部屋の中で、次元はひとり静かに佇んでいた。
"試験"からは1ヶ月半あまりが経っていた。次元は明日、夜明けと共に島を出る。
次元が島を出て行くと知って、両親は驚きながらも納得してくれた。三世様に相応しい男になれ、と兄は言った。
幼い妹はさっきまで次元から離れようとはしなかった。泣き疲れて眠ったところをようやく母が連れて降りた。
担任は、卒業を待たずに島を出ると決めた次元に、『面倒かけやがって』と苦笑しただけだった。
そしてルパンは…。
あれから一度もルパンには会っていなかった。
自分が島を出ることは、きっともう知っているはずだ。
二世が手を回したのかどうかわからないが、ルパンのほうからは一度も会いに来ない。
そして次元のほうもまた、会いに行こうとはしなかった。
会えばその決心が揺らいでしまいそうだったから。
不意に、カツンと窓に何かがあたる音がした。
顔を上げれば、窓の外に黒い影。
「誰だ!!」
とっさに腰のホルスターに手を回し、声を荒げた。が。
「…次元」
窓の外から聞こえたのは、よく知った声。
「…ルパン!?」
慌てて窓の鍵を外せば、外に立つ木の枝に佇むのは紛れもないルパン三世。
「そっち、行ってもいいか?」
「ああ」
ひょいっと枝から窓に飛び移り、部屋の中に入る。そして、閑散とした部屋の中を見回し少し顔を伏せた。
「…島を出るって? 親父から聞いた」
「…ああ」
揺らいでしまいそうな心を押し隠し、次元はそう告げる。
ずっとこのままルパンの側で、ルパンと共に居れたらどんなにいいだろう?
だが、それだけの経験も技量もないことは、何よりも自分自身が一番よく知っている。
もう二度と、足を引っ張るようなマネはしたくない。そして、もう二度と。ルパンにあんなことをさせたくない。
自分のために、何の感情もなく人を殺すようなことを。
「約束を…忘れちまったのかよ」
「違う!」
顔を伏せたまま、低い声で呟いたルパンに、次元は首を振った。
「違う、その約束を守るために、俺は…」
いつの日か、海辺で交わした約束。2人で世界中のお宝を盗むんだ!!
キラキラと輝く目をしてそう言ったルパンに、ついて行こうと思った。
そのためには。力が欲しいと切実に思った。いずれ"ルパン三世"という強大な力を継ぐ男と、肩を組めるだけの力が。
「俺は…」
「馬鹿野郎! 一緒に出ようって言ったじゃねぇか!!」
キッとルパンが次元を睨みあげる。今にも泣き出しそうな顔。
「……ごめん……泣くなよ」
「泣いてなんかねぇよ!! 泣いてなんかっ…」
ボロボロと零れだした涙を拭おうともせずに、ルパンが叫ぶ。
「泣くわけねぇだろうが! お前なんか大嫌いだっ…! 次元の…うそつきっ!! 馬鹿!!」
最後のほうはもうただの罵声。
次元は初めて、歳相応のルパンの姿を見た気がした。
怒りに我を忘れて引き金を引いていた姿も、ボロボロ泣きながら罵声を浴びせるこの姿も、全部ルパン。
「ルパン…」
「お前なんか…針千本飲んで死んじまえっ…」
しゃくりあげるルパンの腕を引き、次元はさっきまで妹にそうしていたようにその身体を抱きしめた。
「俺はきっと帰ってくる。だから…」
今度こそ俺を"相棒"って呼んでくれ。
「次元…」
そこでようやく、ルパンは次元の声が震えていたことに気付いた。
次元が顔を埋めた肩口を濡らしていくものがある。
島を出ると決めた次元が、どんな思いでその決心をしたのか。
「…俺、三世になるよ、次元」
「ルパン?」
「三世の名を継ぐのは俺だ。他の誰でもない俺だ。だからお前も…」
ルパンは次元の背に手を回し、低い声で告げた。
「俺の相棒になれ、次元」
「…仰せのままに。三世様」
月明かりが2人を照らす。
「…ずっと、考えていたんだ」
「何を?」
「お前を俺のものにする方法」
すいっと身体を離し、ルパンは次元を見上げた。
「ルパ…」
開きかけた口を、柔らかいものが塞いだ。
重ねられた唇。回された腕の温もり。嫌悪感も罪悪感もなく、ただ次元はそれを受け入れていた。
言葉よりも何よりも、それが互いの寂しさを埋める方法と知っていたから。
「…見送りには行かないからな」
次元の肩口に顔を埋め、ルパンが呟く。
「…ああ」
別れが辛いのは、自分だけでないと知ったから。それだけで、この先どんなことがあろうとも帰ってこれる。ここに。ルパンの元に。
「もう一度、約束だ」
スッと、差し出された小指を絡める。
「世界は俺たちのもの…だぜ? 相棒」
「世界中を盗むんだろ?」
そして、顔を見合わせ、どちらからともなく大声で笑いあった。
「今度こそ約束破ったら針千本だからな!!」
「なんなら一万本でもいいぜ!」
「言ったな!? その言葉、忘れんなよ!!」
ひとしきり笑いあって、そして不意に言葉を失って、ただ抱き合う。
2人をつなぐものがなんなのか、2人にもよくわかってなどいない。
ただの友情とも、愛情とも違う。強いて言葉で表すのなら、絆、なのかもしれない。
だが、そんなことはどうでもいい。互いが互いを欲し、傍にいたいと思う、それだけが真実。
朝が来れば、朝日が昇れば別れのときが来る。
それは永遠の別れなどではなく、いつかまた出逢うための別れ。その時をただ願って、2人はしっかりと抱き合ったまま眠った。