「んじゃちょっくら出かけてくるぜ。お前らは好きにしな〜」
大英博物館から計画通りお目当ての品を鮮やかに盗み出し、ロンドン郊外にある別のアジトに移ってきたのはつい30分ほど前。
だというのに、すぐに戦利品を片手に出かけようとするルパンに、次元は声をかけた。
「どこ行くんだよ?」
「ん?これからふーじこちゃんとおデートの約束なの〜」
「…いいけど、それ、盗られんじゃねぇぞ」
にやけきった顔に、ジロリと視線を送る次元。
どーせまた色仕掛けで盗んだ獲物を横取りされるか、さらに危険な仕事を頼まれるか。あるいはその両方かもしれない。
それでも懲りないのだから、我が相棒ながらさっぱり分からない。
「じゃぁな、次元、五右ェ門」
気障にウインクを決め、意気揚々とルパンは出かけていった。
「…ったくいい気なもんだぜ」
「次元」
舌打ちしながらボルサリーノの鍔をおろした次元に、五右ェ門が声をかけた。
「…なんだ?」
なるべく平静に聞こえるように答える。
…本当は、呼ばれただけで心臓が飛び出るんじゃないかってくらいにドキドキしているのだが。
できることなら五右ェ門と2人きりという状況はカンベンして欲しいのだ。
それを知っていて出かけていくルパンをちょっとばかり恨みたい気分にもなる。
「仕事も済んだことだし、たまには2人で飲まぬか? ルパンがよい酒をくれたのだが」
だが次元の心境など知るよしもない五右ェ門は、無邪気にそんなことを言ってくる。
「…そうだな」
少し考えてからそう答える。
仕事の後の祝杯を断るのもおかしい。
グラスと氷、そして互いに酒を用意し、向かい合って座る。そういえば、2人で酒を飲むのなど、随分久しぶりだ。
どれくらい時間が過ぎたろうか。
毎日のように顔を突き合わせていても、意外と話題には事欠かないものだ。
始めのうちこそ妙に意識してたどたどしかった会話も、酒が入れば自然と砕けたものになる。
気付けば時計の針は日付を跨ごうかという時間になっていた。
「あぁ、もうこんな時間か」
時計に目をやり、そう呟いた次元。その横顔を見ていた五右ェ門が、ふと口を開いた。
「おぬし、最近なにか悩み事でもあるのではないか?」
酒に酔ったのか、少しだけ赤い顔で、五右ェ門がそんなことを聞いてきた。
一瞬、ギクリとしたのを気付かれただろうか。
「別に悩んじゃいねぇよ。…何でそう思う?」
「いや、なんとなく心ここにあらずというか、塞いでおることが多いように見えたのだ。それに…」
そこで言葉を止め、ふっと五右ェ門は表情を翳らせた。
次元は胸の奥を鷲掴まれる気がした。そんな顔を俺の前でするな…! 喉元まで思わず出かかった言葉を押し殺し、続きを促す。
「…それに?」
「いや…昨夜のおぬしは少し様子がおかしかった」
そんなことを言われ、次元は苦笑した。
「ああ、あれか。悪いモン見せたな」
「別に構わぬ。おぬしとてその…そういうこともあるだろう」
少し言いにくそうにそういう五右ェ門。真面目な堅物男はその手の話には弱い。
「だが、ルパンならいざ知らず、おぬしがああもあからさまなのは珍しいと思ったのだ」
「…そうか?」
「なんと言うか…おぬしらしくない気がして。おぬしはもっと…その…気が利いて優しい男だと思っておったのでな」
ふっと苦笑したその顔が、なぜかほんの少し寂しげに見えて、また、次元の胸がドクンと鳴った。頼むから。そんな顔をするな。そんな顔で俺を見るな。そんな顔で…!!
いっそ嫌ってくれれば諦めもつく。だがそんなことを言われたのでは。そんな顔を見せられたのでは。
プツン、と自分を引き止めていた何かが、切れた音が聞こえた気がした。
伸ばした手で五右ェ門の手を引く。
「次元? …なに…んっ…!?」
呆気に取られた顔を見せた五右ェ門の唇に、次元は自分の唇を押し付けていた。
自分のものより冷たく、薄い唇。
その感触を味わう暇もなく、次の瞬間世界が反転した。
「!?」
動転した五右ェ門に投げ飛ばされ、背中を強かに床に打ちつける。
「ぐっ」
一瞬、息が詰まる。ぶつかったテーブルが揺れ、グラスと酒瓶が床に落ち派手に割れる音がした。
身を起こそうとしたとき、耳元でタンッと音がした。床に横たわった次元の首筋の脇に、斬鉄剣が突き立てられていたのだ。
「…何の…つもりだ」
搾り出すような低い声。五右ェ門は次元に馬乗りになり、その胸倉を掴む。
怒りを宿した瞳が次元を見下ろし、睨みつける。
「何のつもりだと聞いておるのだ!!!!」
恫喝する五右ェ門。返答次第では斬る。口よりも目が。そう雄弁に語っている。
「―――――斬れよ」
自分でも。驚くくらいに冷静な声が出た。
「なに?」
怒りに燃える黒い瞳が、一瞬揺れた。
「斬れよ。俺を。それでお前の気が済むんなら」
投げられたとき、帽子はどこかへ飛んでいった。いつもと違いまっすぐに五右ェ門を見上げれば、またその瞳が揺れた。
「次元?」
「俺はな、お前に惚れちまったんだよ」
「…な・・・」
思いもしない言葉だったのだろう。五右ェ門は言いかけたそこで絶句した。
「俺はな、お前が好きで好きで、俺のもんにしたくてどーしようもねぇんだ。笑っちまうだろ」
自嘲気味にそう告げれば、次元の胸倉を掴んだ手が微かに震えた。
隠しきれない動揺。当たり前だろう。ただの仲間と思っていた、しかも男に突然キスされた上にこんなことを言われたのでは。
わななく手から、カランと音をたて五右ェ門の愛刀が転がった。
力の抜けた五右ェ門の下から這い出し、次元は拾った帽子を目深に被った。
深く俯いたまま座り込む五右ェ門。
「五右ェ門」
「寄るなっ!!」
相変わらず怒気をはらんだ声。
差し出しかけた手を、思わずビクリと引っ込める。
「…悪かった」
その背中を見ていたら、思わずそう口にしていた。
自分でも気の利いた言葉が見つからないのが哀しい。
次元はそれきり何も言わず、部屋を後にした。
自分の部屋に逃げ込み、ずるずるとドアに背を預けて座り込む。
この結末は予想しなかったわけじゃない。
分かっていて選んだのは、自分。
だけどこんなつもりではなかった。少なくとも五右ェ門を傷つけるつもりは。
自分の想いが届かなかったことも、拒否されたことももちろん苦しい。
だが、それと同じくらいに五右ェ門を傷つけてしまったことが苦しい。
そうだ。この胸の痛みは自分のものではない。自分が踏みにじってしまった、五右ェ門の心の痛み。
暗い自分の部屋の中で、次元は煙草を取り出し、火をつけた。吸いなれたはずのペルメルの煙が、いつもよりひどく苦く感じた。