明日の晩の計画を五右ェ門と打ち合わせていると、やけに憔悴した様子で次元が帰ってきた。
どこに行っていた?という五右ェ門の問いに、飲みに出ていただけだ、と言う相棒。その割には不機嫌な様子だし、なにより口元には赤い口紅が残っている。
らしくない。思わずルパンはそう胸の中で呟いていた。
別に次元だって男だからそういうこともあるだろう。
女嫌いなどと揶揄(やゆ)されることもあるが、別にそうではない。
自分と違って”女にだらしなくない”だけで、むしろ自分なんかよりよほどロマンチストでフェミニストであるということもルパンは知っていた。
その次元が女遊びの後を隠そうともせずにあらわれた。
「この色男。口紅ついてるぜ」
だから、珍しい状況をちょっとからかってやるだけのつもりで口にした言葉に、次元があれほど動揺するとは思わなかった。
口元を拭った手を苦い表情で見つめ、そして次の瞬間ちらりと五右ェ門のほうを伺う。
むろん、この堅物なサムライは渋い顔を隠そうともせず、さっさと自室に引き上げてしまった。
そして次元は帽子の下で小さく舌打ちをした。
やっぱりそうか。
その一連の流れを見て、ルパンは納得した。前々からそんな様子は垣間見えていたが、今日のこれは決定的だ。
そして、そんな一言で動揺するくらい取り繕えなくなっている次元。相当に切羽詰っているわけだ。
「あー…悪ぃ、野暮だったな」
五右ェ門が出て行った後、イライラとポケットをまさぐる相棒にルパンは自分の煙草を差し出した。
「別に」
受け取ったジタンに火を点け、咥えたその端を噛む。
それが極度に機嫌の悪いときの次元の癖だと言うことを知るルパンは、悟られないように小さく苦笑した。
「ふーん、グッチ…かな。なかなかいい女じゃなかったの?」
「…おまえは犬か?」
側を通ったときに漂った香水の残り香をピタリと言い当てるルパン。
呆れた顔で次元が睨めば、ルパンは悪びれる様子もなく笑う。
「可愛かった?俺も会いたかったな〜どうやってひっかけたのさ?」
「…勝手についてきただけだ」
さっきまで五右ェ門が座っていたソファに横になり、煙草をふかす。深々とおろされた帽子のせいで、その表情はうかがい知れないが。
「おーおーモテる男は言うねぇ」
ルパンは大きく肩をすくめ、同じ様にジタンに火をつける。
「で?折角いいとこまで行ったのに放り出して来たわけだ。タイプじゃなかった?それとも…」
そこで意味深に言葉を切り、向かいに寝そべる男の帽子を取り上げた。
「誰かさんの顔でもちらついた?」
「…何が言いたい」
普段は帽子に隠された瞳が、剣呑な光を宿してルパンを見上げる。
「おまえさぁ、この俺様が気付かないとでも思ってるわけ?」
しかしそんな眼光に動じることもなく、ルパンは心底呆れたように頭を掻いた。
「こと恋愛ごとに関して俺を欺こうなんて、100年とんで3ヶ月早いっての」
芝居がかった口調でそう言い、取り上げた帽子を返す。
返された帽子をまた深々と被りなおし、起き上がった次元はようやくルパンに正面から向きあった。
「………なんで分かった」
ルパン相手に誤魔化しても無駄と思ったのか、観念したように次元が問うた。
「何でってなぁ…」
ルパンからしてみれば勘でしかなくむしろカマをかけたつもりだったのだが、こうも素直に反応されたのでは拍子抜けする。
「ことあるごとに五右ェ門の様子を伺ってるだろ最近。だからおかしいな〜とはおもってたんだけどもよ」
「…そんなつもりはなかったんだがな…」
ため息のようにそうこぼす。
時に稀代の色事師としても名を馳せるルパンに恋愛ごとでの秘密を隠しとおせるとも思ってはいなかったが、こんなに早く気付かれるとも思ってはいなかった。聡い相棒を持つと言うのも時には考え物である。
「にしても驚かないのかよ?」
そう聞きながら、次元はテーブルに置かれたジタンの箱から勝手に1本抜き出し、火をつける。
「そりゃ最初はまさかって思ったけどよ。それより面白くてさ〜」
そういいながらルパンは既に腹を抱えて笑っている。
「この野郎、他人事だと思って!あー笑いたきゃ笑え!!勝手にしろ!!」
火をつけたばかりだった煙草を乱暴に灰皿に押し付け、次元は席を立つ。
ずかずかと部屋を出ようとした次元の袖を掴み、ルパンが引きとめた。笑いすぎてその目には涙が浮かんでいる。
「悪い悪い。そうヘソ曲げるなよ次元。にしても珍しいよな〜。お前がそんなに入れ揚げてんの」
一体何が良かったのよ。真顔で聞くルパンに、次元はぐっと返答に詰まる。
「…それがわかりゃ、苦労しねぇよ」
しばらくの間をおいて。次元はえらく消沈した様子で答えた。わからないから、こうしてぐるぐる悶々と出口の見つからない迷宮の中を彷徨うハメになるのである。
なんとも難しい顔で唸る次元を目の前に、ルパンは苦笑する。
「あぁれまぁ。そーとー重症みたいねぇ」
普段クールで売っている相棒が、これほどまでに煮詰まっているのは珍しい。
「ほっとけよ」
次元はフンっと鼻を鳴らす。
「で?これからどうすんの」
「…どうするって?」
その質問の意図が分からず怪訝な表情を見せる次元。
「五右ェ門に思いの丈をぶちまけて斬られてみるとか、いっそ夜這いをかけて斬られてみるとか」
「…斬られねぇ選択肢はねぇのかよ。別にどうもしねぇよ」
興味津々といった顔を見せていたルパンだったが、その答えは予想していなかったのか、キョトンとした顔になる。
「どうもしない?んじゃこのまま指咥えて大人しくしてるってのか?」
「その言い方は腹が立つな。…でもまぁそんなとこだ」
「へぇ〜。お前さん、そんなに固い男だったっけか?よく言うぜ。今にも襲っちまいたいくせに」
じろりとルパンが次元を見る。
「…何とでも言え」
ルパンのあけすけな物言いを否定しないのが何よりの証拠だ。やせ我慢もここまくれば大したものだと思う。
「こと恋愛に関してお前の悪いクセだよな。自分の胸にしまって諦めりゃ相手も傷つけず世の中上手く回ると思ってんだろ」
とげのある言い方に、さすがの次元も帽子の下からルパンを睨みつけた。
「…俺はな、お前と違って引き際ってのを心得てんだ」
「ほんっとロマンチストのかっこつけだな、お前は」
それでもなお歯に衣着せぬ物言いをするルパン。
乱暴な手つきでジタンに火をつけると、殺気だった2人の間を場違いなほどふわりと煙が流れる。
「…お前俺に喧嘩売ってんのか?」
「気にくわねぇんだよその日和見主義がな。欲しいもんがあるんなら自分で手に入れないでどうすんだ?」
それが俺たちのやり方だろ?とルパンが続ける。
「…じゃあ聞くがな。俺が正直になったところで誰かが幸せになんのかよ。奴が俺を受け入れると思うか?んなのは夢のまた夢だろ?だったら黙っとくのが一番なんだよ。あいつにとっても。…それに俺にとっても」
次元は吐き捨てるようにそう言う。
己のものにしたいという本能の欲求と、そんなわけにはいかないという理性のせめぎ合い。惚れた女を失ったこともあった。惚れられた女を袖にしたこともあった。
もちろんそんな女たちとの過去を忘れたことはない。喉もと過ぎればなんとやらとは言うが、それでもこんなに苦しいことは無かったように思う。
それは所詮男と女と、しごく当たり前の事象だから。男が男に惚れるなんぞというありえない状況だからこその悩みは、簡単になくなるものではない。
「けっ。俺の相棒がこんなにヘタレ野郎だったとはね」
「何を!?」
テーブルを挟み、にらみ合う2人。
ダンッとテーブルを叩き、先に目をそらしたのは次元のほうだった。そんな次元をルパンはまた面白くなさそうに睨む。
実際面白くないのだ。優しい男だということは誰より自分がよく知っているが、時にそれは逃げ腰にしか見えない。
そして今回のことで言えば、間違いなく次元は逃げているのだ。自分から。
「お前なんかさっさと五右ェ門に斬られちまえ!そうすりゃ少しは目が覚めるだろうよ」
まだ半分近く残る煙草を灰皿に押し付け、席を立つ。
「ルパン…」
「…あんまりボヤッとしてっと俺が頂いちゃうぜ」
欲しいもんは自分で手に入れる主義なんでな。お前と違って。そう言ってルパンはニヤリと笑い、部屋を後にした。
その背後でドアになにかがぶつかる音がした。大方次元が靴でも投げつけたのだろう。
「全く世話の焼ける相棒だぜ」
肩をすくめて苦笑した。
これで次元は逃げ場を失ったことになる。追い込まれた相棒がどんな行動にでるか。
「また一波乱ありそうだな」
うんざりした表情を見せながらも、その瞳は面白そうに笑っていた。