正直な話、このところ俺は随分煮詰まっていた。形なく存在するその悩みを黙って見過ごすことだっていくらでも出来るのだが、実際問題として仕事がやりにくくてしかたないのだから目を背けるわけにもいくまい。
(さぁて…どうしたもんかね全く)
IQ300だろうがなんだろうが、俺にだって人並みに解決できない悩み事の一つくらいはあるもんで。珍しく溜息なんぞついたもんだから、傍らで新聞を読んでいた次元が帽子の下から訝しげな視線を送ってくる。
「どうかしたのか」
「いんや〜? 別に〜?」
何でもねぇよとひらひらと手を振り、その問いを適当に流してから心の中で苦笑する。
(自覚がないってのも困ったもんだよな)
俺の悩み事の原因が自分だってこと、この男は本当に気付いてないのかね? だとしたら大概、この男の鈍感さも五右ェ門と大差ないかもしれないなんて思う。全く我が相棒ながら手のかかる奴。
「なぁ次元?」
「…っ…なんだ」
ほら、名前を呼ぶだけでそんなに緊張しちゃってさ。
「なんでもね」
「……俺で遊ぶんじゃねぇよ」
ほら、心底ほっとしたように息ついて。
俺が気付かないとでも思っているのだろうか。だとしたら見くびられたもンだよな。この俺様が。世界中の警察を手玉に取ることだって朝飯前のこの俺様が。
初めてその視線の意味に気付いたのはいつのことだったか。そんなこと忘れちまったけれど、本当に忘れるくらいに時間が経っているのだとしたら、次元の鉄のような忍耐力には感服するしかない。
気がつけばいつも次元に目で追われている感覚。視線が、俺に付き纏う。しかもその視線が妙に熱を帯びていることに気付かないほど、残念ながら俺は鈍感ではない。身体に纏わりつくような熱い視線は、まるでそう、女を値踏みする男の視線そのもので。
つまりはそういうことだ。次元は俺に、相棒として以上の感情を抱いているらしい。
その意味に気付いたときにはよほどぶん殴ってやろうかとも思ったものだったが、それでも次元は俺を目で追うだけでそれ以上の行動に打って出ようとは決してしなかった。俺に愛想を付かされることを何よりも畏れてるんだろうってことは手に取るように分かった。俺を自分のものにしちまいたい欲求と、拒否されることへの恐怖。そんなものが滲んだ視線は、いつだって俺を追いかけていた。
それでも必死に感情を押し隠して俺に付き従うのだから、健気といえば健気だが、悪く言うならばヘタレ野郎。世間の連中が次元のことを『ルパンの犬』なんて呼ぶのもあながち外れちゃいないと思う。ホント、誰よりも俺の言うことをよく聞く忠犬だ。そういうところが好きだから、俺は次元に愛想をつかすこともなく傍に置いていた。けど。
(そろそろ限界かなぁ)
いくら我慢強いといっても、限界はある。視線から滲み出る感情は日に日に濃くなるばかり。それは濃厚な雄のフェロモンとなって常時垂れ流されるようになってしまっていた。今は同じアジトで寝食を共にしているのが鈍感を絵に描いたような五右ェ門だからこそ事なきを得ているけれど、不二子にでも会えばばれるのも時間の問題だろう。だがそれでも次元は俺に手を出そうとはしない。多分、このまま限界が来たなら、俺を襲うよりも前に次元はふらっとどこかへ行くだろう。そういう男だ。次元大介という男は。俺を失うことを畏れているくせに、それ以上に俺に拒否されるのを何よりも畏れているのだから。
俺としては拒否するつもりもない。積極的にその関係を望んでいるわけではなかったけれど、次元が望むのならそうされてもいいと思っていた。その視線に気付いたとき、驚きこそしたものの嫌悪感を抱かなかったのが何よりその理由になると思う。次元大介という男がどんな風に俺を抱いて、どんな風にその心のうちを囁くのか。今ではそのことに強い興味を抱くようになっていた。恋愛感情とは呼べないかもしれない、ただの好奇心。それでも友情というには些か度を過ぎた感情を抱かれているにも関わらず悪い気がしないのだから、やっぱり俺としても次元のことは憎からず思っているんだと思う。
(何だかんだで、俺もお人好しだよな)
つらつらとそんなことを考えながら、心の中で苦笑するしかない。自分を女として扱おうという欲望を抱く男を相も変わらず傍に置いておきたいと思い、あまつさえ好意さえ抱いているのだから。
(にしても…いい男だよなこうやってみるとホント)
こっそりと隣で新聞を読む男を見遣る。
日本人離れした彫が深く濃い顔立ち。片手でコンバットマグナムを連射できるだけの膂力(りょりょく)を蓄えた体つきは、まさに男らしいというのが相応しい。ダークスーツに身を包んだ姿はクールでニヒル。そのくせ、たまに帽子の下から覗かせる笑みはどこか優しげ。そのうえ、女に気のない素振りをしながらも誰よりもロマンチストでフェミニストとくれば、そりゃあ女が惚れるのも無理はない。
(黙ってりゃ俺なんかよりよっぽど女にモテるのによ。大体こんな俺なんかのどこがいいのかね? 全く)
こっそりと首をすくめるしかない。確かに俺は次元ほどには男らしいというようなタイプというわけではないが、だからといって女扱いされるような柔な外見をしているわけでもない。その手の男に媚を売られるなんてことも、ついぞ経験したことがない。次元だってゲイというわけではないんだろうと思う。男の恋人がいたなんて話も噂もついぞ聞いたことはないし、それなりに女遊びだってしてるのは男同士だなんとなく分かる。だからこそ気付くのが遅れたし、気付いたときにはもうどうしようもないくらいに手遅れだったのだが。
ことはここに至って酷く切迫している。俺たちの間にある緊張の糸が今にも切れそうなことは、次元自身が一番良く分かっているはずだった。選択肢は一つしかない。俺が拒否すれば次元は俺の元を去るだろうし、それは俺としても本意ではない。俺は相棒としての次元を高く評価していたし、もうこいつなしで仕事をする自分なんか一切考えられないくらいには、次元は俺の相棒だった。
(ったく……めんどくせぇ奴!)
そう思いながらもその面倒くささが不快ではないあたり、俺もどうかしてるんだと思う。この世界一の大泥棒と名高いこの俺が。ルパン三世のこの俺が。たった一人の男の感情に振り回されるなんて。あまつさえその男にどうされてもいいと思っているだなんて。
(俺としたことが…随分ほだされちまってんなぁ)
誰も信じない、誰も寄せ付けない。孤高の存在であるこの俺が。
そんなことを思ったら自然に笑みが零れてしまっていた。
「…何笑ってんだ、気持ち悪ぃ」
それに気づいた次元がちらりと俺を見遣った。帽子の下からこちらを伺う視線。一瞬だけ目が合うが、その瞬間また次元は新聞に視線を落としてしまう。多分俺と目を合わせるのすら辛いんだろう。揺れ動く感情を押し殺せなくて。いい加減そのリミッター、外して見せろよ。
「なぁ、次元?」
「……んだよ?」
新聞から目を離すことなく、少し固い声で返事をする次元。さぁて、どうしたもんかね?
「お前さー………」
「だから…なんだよ」
それでも俺のほうを向こうとしない次元。焦れた俺はその手から新聞をむしりとると、そのネクタイを引いた。
「何…っ!」
抗議の声をあげようとした次元の唇を己のそれで塞ぐ。甘い煙草の香りと、微かな珈琲の味。かさついた唇はきつく閉じられ頑なに俺を拒む。
「く…っそ!! 離せ!」
無理矢理俺を引き離した次元は、苦い顔で帽子の下から俺を睨みつける。真っ直ぐ俺を見るなんて、久しぶりじゃねぇの? そんな顔するんじゃねぇよ全く。思わず苦笑が漏れるが、それが次元は気に入らなかったらしい。
「…俺をからかって何が楽しいんだ」
吐き捨てるように言う次元。この後に及んでまだそんなことを言えるんだから、実際、大した精神力の持ち主だよお前ってば。あくまで自分の気持ち隠してなかったことにしたいんだろう。
「…俺が冗談でやってると思ってんなら、お前、相棒失格だぜ」
そんな態度に少しイラついたから、俺はわざと次元の感情を逆なでするような言葉を選ぶ。こうなった以上、俺たちの関係はもう後には引けねぇよ。何より、最初にそれを望んだのはお前だろう?
だがその言葉は想像以上にダメージを与えたらしく、ぎくりと身体を強張らせる次元。
「…なん…だと?」
そのまま絶句して動けないでいる次元の手を取って自分の頬にあて、そして、ニッと微笑んだ。
「勘違いすんなよ、次元。この俺が欲しいんだろう…? お前になら、くれてやってもいいぜ…?」
そう口にした瞬間、世界が反転した。背中には柔らかいソファの感触。抵抗もせずに見上げれば、蛍光灯の逆光の中に浮かぶ次元の顔。重力にしたがって落ちた前髪に隠れてその瞳は見えないが、喉の奥で僅かに呻いた声は苦渋に満ち、俺をソファに押し付ける手にはぎりぎりと力が籠っている。
「…これでもまだそんなこと言えんのかよ? 俺がお前をどうしたいか、本当にわかって言ってンのか?」
苦々しげな低い声。お前ってばホントお行儀のいいワンコだよ。俺の顔色ばっか伺って。心底俺のことが大切なんだろうなって思うと、それだけで俺は優越感に満たされるけれど。今はそれよりも。
「…この俺様がお前にならくれてやるって言ってンだ。……何度も言わせるんじゃねぇよ」
そう告げた途端にむせ返るほど濃い次元の香りに包まれる。箍の外れた次元の、むしゃぶりつくようなキスを受けながら、俺は心の中で小さく笑った。
愛か恋か、この感情の行き着く先がなんなのか。そんなことはこれからゆっくり探せばいい。流れるように愛銃をメンテナンスするその器用な手でどんな風に俺を抱くんだろう? その低く甘い声でどんな風に俺の耳元で愛を囁くんだろう? 普段帽子や前髪で隠された瞳にどんな風に情欲を滲ませて俺を見詰めるんだろう? そう考えただけでゾクゾクする。俺を欲しがるお前が欲しい。そして、お前の全てが知りたい。女にしか見せない顔を知る、この世でただ一人の男になりたい。
今はただ、それだけ。
Fin.
【あとがき】
初、次ル。
いやこれ次ル…? という自問自答もしつつですが、誘い受けルパ様(のつもり)です。
結局のところ、次元ちゃんには甘いルパ様であって欲しい今日この頃です。
最後まで読んでくださってありがとうございました!!
'12/12/11 秋月 拝