I love you who loved her.

 この街はいい街だと思う。景色も美しいし適度に便利で静か。住み易くて落ち着く街だ。あんなことさえなければ、きっとルパンはこの街にアジトを持とうと言っただろう。だが、あいつの心に深く傷を残した過去が眠るこの街に、ルパンが腰を落ちつけることはおそらくない。それは俺の確信にも似た思い。いやそうであったら嬉しいという俺の願望だったかもしれない。
 あれから4日が過ぎた。
 ナチスドイツ復活を夢見たドクターゼルは死んで事件は解決し、俺たちはまたいつもどおりの生活に戻ろうとしている。
 不二子と五右ェ門はそれぞれ次の用事があるからと早々に俺たちの元から去り、拠点としている街のホテルには俺とルパンだけが残されていた。

『ルパンのこと、お願いね』

 不二子は去り際に俺にそんなことを告げて行った。彼女は彼女なりに、今回のことで傷ついているだろうルパンのことを慮っているのだとは思う。そんなことを言うくらいなら自分が残ればいいのに。なんて未練がましいことをちらっと思ってみたりもするが、あの女にそんな心遣いを期待するだけ無駄とも思う。それに。

『そんなこと…貴方に頼むのは酷かもしれないけれど…』

 もう一つ彼女が残していった言葉を思い出し、珈琲を煎れながらルパンに気取られないように溜息を一つ。それこそ、わかっていて俺にそんな役目を押し付けていくのだから性質が悪い。不二子の言うとおり今回ばかりは酷な役目ではあった。だが、ルパンの心の傷を深めたのは紛れもないこの俺。それも自分で撒いた種と思えば仕方ないが、俺だって気持ちの整理をつけるのに一人になりたいのも確か。それでも、残念ながら傷心のルパンを置いて行けるほどの冷たさは自分にはないらしい。

「ルパン、珈琲飲むか?」

 結局、不二子に言われたとおりにこうやって日がな一日マメに面倒を見てやる日が続いていた。

「ん、サンキュ」

 ぼんやりと窓の外を眺めていたルパンだったが、俺が声をかけるとこちらを向いてにかっと笑った。
 4日。それが傷を癒すのに充分な時間とはとても思えなかったが、表面上はいつもと変わらない。少しぼんやりしている時間が長いかなとも思うが、仕事がひと段落した後は大抵こんなもんだ。

「いい匂いだな。この豆、どこで買ったんだ?」
「ホテルのフロントで売ってた奴だ。残念ながら仕入先までは聞いてねぇぜ」
「そ? これ美味いな。次の街に行く前に買い溜めして行こうか」

 そんな他愛もない話。珈琲をすするルパンの顔は穏やかだ。それでも自分達の間に微かな緊張感のようなものが漂っていることに、ルパンだって気付いていないわけではないだろう。

『恨むなよルパン。撃たなきゃおめぇが殺られてた』

 ふとした拍子に脳裏に蘇ってくるのはあの場面と自分の言葉。
 ルパンに告げたとおり、俺はコーネリアを撃ったこと自体には後悔はなかった。あの女は最初から死んでいた。死者と生者は共に生きることなど出来るわけもない。俺はコーネリアをあるべき場所に還しただけだ。俺は、ルパンを守りたかった。それだけだ。だがルパンは…? ふと冷静になってみればそんな疑問が頭を過ぎる。コーネリアの死と引き換えに生き残ることが、果たしてルパンの本望だったのだろうか…?

「次元ちゃんどったの?」

 ハッと我に返ると、ルパンが怪訝そうな顔でこちらをのぞきこんでいた。

「いや…なんでもね」
「そ?」

 平静を装ってはぐらかせば、それで俺に対する関心を失ったのか。ルパンはまたぼんやりと視線を緩めた。
 マグカップに視線を落とし暖をとるかのように掌で抱えこみんだ姿は、やはりどこか弱々しく見える。そんな姿が俺に後悔の念を抱かせる。そんなことはないと信じてはいたが、心のどこかでは『ルパンがあのまま死ぬことを望んでいたのではないか』と思ってしまう。二人の間を引き裂かないほうが良かったのではないかと、そんな思いに駆られる。
 ルパンは決して俺を責めようとはしなかった。四日の間に一度も。いっそ罵倒してくれた方が良かったと、ぼんやりと珈琲をすするルパンの横顔を見ながら思う。怒りに身を任せて俺を罵ってくれればいいと思う。それでルパンの気が済むのならば。いや、済むのはルパンのではなくて俺の気が、かもしれない。

「…いつまでこの街にいるつもりだ? ルパン」

 暗に、早くここから出ようと言ったつもりだった。だが、ルパンはそれに即答はせずに珈琲を啜り続ける。

「…明日…か、明後日…か…」

 俺のほうを見ずにぼんやりしたままで答える。なぁルパン、お前はどこを見ているんだ。コーネリアの行ってしまった向こう側を見ているのか? 目の前の俺のことなんか、目に入ってないのか?

「そうか…」

 昨日も全く同じ会話をしたことを覚えていないわけではないだろう。ルパンの中で整理がつかない以上、俺がどんなに思い悩んだとしてもどうすることも出来ない。それが酷く、もどかしくて辛い。

「…ちょっと、出かけてくる」

 そう告げると、飲みかけのマグをテーブルに置き、ルパンはソファの背にかけていた赤いジャケットを羽織って立ち上がった。
 どこへ? そう問おうとして、しかし、すぐに思い直す。

「………夕飯までには戻れよ」

 聞いたところでルパンはそれに答えないだろう。そんな気がした。

「んな心配すんなって。ちゃんと帰るよ」

 よほど俺が心配そうな顔をしていたのだろうか。苦笑を残し、ルパンは部屋を出ていった。
 なぁルパン。お前の本心はどこにある? 俺は、傷ついたお前のために何がしてやれるんだ?
 俺は深い溜息を一つ零し、そしてゆっくりとその後を追った。


 尾行なんて後ろめたいことをしたいわけではなかったのだが、この4日間、毎日同じぐらいの時間になるとホテルを出て行くルパンの行動を気にしないわけにはいかなかった。

「お兄さん観光客かい? 安くしとくぜどうだ?」
「悪いが急いでるんだ。後にしてくれ」

 ホテルある通りのすぐ先には市場が出ていて、人通りも多い。道行く店の客引きに気を取られていたのではルパンの姿を見失ってしまう。幸いにも真っ赤なジャケットは人ごみの中でもよく目立ってくれていたが。
 ルパンは俺が尾行していることに気付いてはいないのだろうか。勘のいい奴だから気付かれていてもおかしくはないとは思うが、そんな気配もなく、時折道に並ぶ屋台や店を覗き込みながらフラフラと歩いていく。

(どこへ行くつもりだ…?)

 車に乗られたら終わりだと思ったが、今のところはそんな様子もない。適度に間をあけて、ひたすらその目だつ赤いジャケットの後を追う。
 ふとルパンが足を止めた。看板を確認するまでもない。色とりどりの花が表に並べられているその店はどうやら花屋らしい。ルパンはしばらく店の前の花を眺めていたが、何を思ったのかふらりと中に入っていくから、俺はその手前の店の前で煙草に火を入れた。
 ふうっと吐いた煙は、雑踏に紛れながら空へと上っていく。それを見ながら俺は、また大きく溜息をついた。
 正直なところ、俺とルパンの関係であったり、俺ががルパンに抱いている感情は一言では説明しがたい。相棒、友人、そして恋人。それが互いに想いあった結果の関係とはいえ世間的には受け入れられないだろう関係であることは重々承知しているし、別に他人に理解されようとも思ってはいないが、俺自身が実ってしまった関係に戸惑っているのもまた事実。それでも俺にとってルパンは何よりもかけがえのない存在、失いたくない存在なのだ。だからルパンを守った。その根拠は揺るがないのに、何故こんなにもモヤモヤと心の奥底に感情がわだかまっているのか。
 ぼんやりと考えながら待つこと十数分。3本目の煙草を吸い終わるか終わらないかのうちに、ルパンは大きな花束を抱えて店から姿を現した。真っ赤な薔薇の花束。

(女か…いや…)

 人ごみを掻い潜り黙々と歩みを進めるルパンの背を見ながら、俺は更に苦い感情が胸の中に広がっていくのを感じていた。確信にも似た、予感。ルパンの向う先はもう見当が付いていた。
 ホテルを後にしてから数十分。人気のなくなった道の行き着く先は俺もよく知っている。ドクターゼルがアジトにしていた、そして、コーネリアの眠る霊園だ。その一番日当たりのいい場所に、コーネリアは眠っている。
 俺はルパンに見つからぬように風下から近づいて近くの墓石に身を隠し、そっとルパンの様子を伺った。
 他の墓からは少し離れた場所に1つだけ佇む墓標。セルジオが立てたのだろうその墓標の下には花束が3つ並べられていた。どれも少しだけしおれた赤い薔薇の花束。おそらくはルパンが毎日ひとつずつ捧げていたのだろう。そして、ルパンは今日持ってきた花束をまた、その隣にそっと並べて置いた。
 ざあっと少し強い風が赤いジャケットを翻すのが見えた。その風に乗って、風下の俺のところに微かにジタンの香りが届く。

「コーネリア…」

 ふっとルパンの声が聞こえた。
 墓の下に眠るコーネリアの名を呼ぶその声はとても。とても優しくて。

「そろそろ行くわぁ、コーネリア…。またな」

 それを聞いただけで俺は、訳もなく泣きそうになって、慌てて唇を噛み締めた。
 俺があそこで撃たなければコーネリアはきっとルパンを撃っただろう。俺は、それを止めた。俺はルパンを失いたくない。だけどルパンは…? 愛した女の手にかかって死ぬことを本当に望まなかったのだろうか…? ルパンは何も言わない。コーネリアのことも。自分のことも。だけどルパンはコーネリアを愛していたのだ。コーネリアがまた、狂おしいほどにルパンを愛していたのと同じ様に。
 それ以上何も言わずにジタンの煙を燻らせながら踵を返したルパンの背中を見ながら、俺はその場に座り込んだままルパンを追えずにいた。ルパンを守るためとはいえルパンが愛した女をこの手で殺し、ルパンの心に消えない傷を作った事実。死んだ女にいつまでも嫉妬の心を抱き続けている自分自身。全て分かっていたはずのことだというのに、何もかもが苦しい。
 俺はこんなにもお前が好きで好きで失いたくないと思うのに、ルパンの心が自分にないのではないかと思うだけで。こうやってルパンがコーネリアの墓を守ってやっているのを目の当たりにするだけで。俺の心は張り裂けそうだった。寂しさと苦しさと。何よりそんなものを感じる自分自身が惨めで仕方ない。
 深く噛み締めた唇からは血の味がした。いつの間にか溢れて流れ出した涙が止まらなかった。


「あれ、お前も出かけてたの?」

 結局墓地を後にしたのはルパンが去ってから随分時間が経ってからで。もちろんのことだがルパンのほうがホテルに戻るのは早く、俺は少し遅れて帰ることになってしまっていた。

「ああ、こいつが切れたから買出しに行ってた」

 言い訳が出来るように途中の煙草屋で買い足した煙草のカートンを差し出してみる。どこまで気付かれているか。いや、気付かれていないと信じたい。散々泣いたせいで目が少し腫れぼったいが、目深に被った帽子のおかげで上手く隠せているはず。

「お前のも買っといたぞ」
「サンキューさすが次元、気がきくねぇ〜」

 煙草を受け取りながら、何事もなかったかのようにへらっと笑うルパンに、俺のほうはまた胸が痛む。俺のこと、まだそんな風に言ってくれるのか?

「なぁ次元」

 不意に、改まった口調でルパンが俺を呼ぶ。

「あ? なんだよ?」

 ドキリ、と心臓が跳ねた。だが、それを悟られないよう、揺れる心情を悟られないよう、わざとぞんざいに答える。

「…明日にでもこの国を出ようぜ」

 数日間、ずっと待ち望んでいたはずの言葉だった。明日この国を離れる。そう決めたからルパンはコーネリアに別れを告げたのだろう。またな、と。だが。

「………いいのか?」

 俺の口から出たのは、そんなルパンの決意を咎めるような言葉だった。

「え…?」
「…コーネリアの傍に居てやらなくて」

 その名前を出した途端、ルパンの顔が今にも泣きそうに歪んだ。ああ…俺は何で。言うつもりもなかったのに。その顔を見てまた胸がキュウと痛んだ。お前にそんな顔をさせたいんじゃないのに。それでも。

「…何で俺を責めない」

 一度堰を切った感情は止まらない。駄目だと頭では考えていても、それよりも先に言葉が零れ落ちる。俺は一体何をしているんだ。ルパンを責めて何になる? これ以上ルパンを傷つけて何になる?

「俺を責めたらどうだ。何でコーネリアを撃った、何で彼女を殺したって!」
「………責めて欲しいのか?」

 だが。トーンを上げる俺の声とは対照的に、ルパンの声は酷く冷静だった。

「違うだろう? お前を責めたところでコーネリアは戻ってこないし、俺を助けたお前を責めるなんてのはお門違いだ。それに本当に責められるべきは、あのときコーネリアを助けられなかった俺自身だ。あの時コーネリアを死なせなければ、こんなことにはならなかったはずなんだからな」

 自嘲気味に笑うルパン。

「…気付いてたよ、お前が俺の後を尾行してたの」

 言われてギクッとした。ルパンを騙せるなんて思っていたわけではないが、気付いている素振りなど微塵も見せていなかったのに。
 なあ次元。深い声が俺の名を呼び、そっと伸ばされた手が俺の帽子を脱がす。帽子という仮面をはがれた俺は、蛍光灯の明るい光の下で情けないくらいの泣き腫らした顔を晒していた。

「何でんな顔してんだよ、お前が」

 さすがにこれには驚いたのか苦笑気味のルパン。それでも俺を労わるかのようにそっと伸ばされたルパンの手。だが、俺はその手を払い落とした。

「なぁ、次元」

 頑なに口を噤む俺に、また、ルパンが優しく語りかけてくる。

 そんな風に優しい声で呼ばないでくれ。お前の心に深い傷を作ってそのせいでお前に嫌われるんじゃないかなんて、そんなことばかり考えている自己中心的な俺のことを。死んだ女のことが忘れられない、死んだ女にお前の心を奪われるんじゃないかなんて嫉妬して心を乱す惨めな俺のことを。そんな風に深く優しい声で。
 死んだ奴にはどうやったって敵わないのだ。思い出は美化されて生きているものの心の中に残り続けるのだから。それに引き換え生き残った俺は、いつまでも惨めな姿を晒すしかないのだから。

「次元?」
「……お前、あの時俺を…俺たちを置いて死んでもいいって思ったのか? お前は…今でもコーネリアを愛してるのか…?」

 ずっと心の奥に澱のように溜まっていたその問いをぶつけると、ルパンは小さく溜息をついた。

「…確かに、ほんの一瞬そう思ったさ。コーネリアに銃口を向けられて…。俺が助けられなかったコーネリアの手にかかって死ぬなら、ある意味それもいいと思った。…けどな」

 そこで少し語気を強めると、俺の目を覗き込む。

「けど、お前の顔見たらそんなこと吹っ飛んじまったよ。ああ、俺はこんなところで死ぬわけにはいかねぇ、そう思った」

 ぎゅうっと抱きしめられて耳元で力強く囁かれて、その温もりに、俺はみっともないくらいに涙が止まらなかった。

「俺はコーネリアを愛してた。でもそれはお前や、五右ェ門や不二子に会う前の話だ。でも今は違う。なぁ、次元、俺はお前が好きだよ。そうやって俺のことで泣いてくれるお前が、好きだ。愛してる」

 なんでお前はそんなに優しいんだ。お前がそうやって優しいから俺は付け上がるんだ。お前の心が俺にあるって信じてもいいのか? 俺が助けたお前は、俺の傍で俺を見て生きてくれるのか? こんな惨めな俺を。

「聞いてたんだろう? またな、コーネリアって言っただろ俺。ちゃんとお別れしてきたんだぜ。お前のとこに帰って来るためにさ」

 助けてくれて、ありがとな。
 その言葉が、ジワリと心の中に淀みわだかまっていた黒い感情を溶かしていく。ルパンが俺を選んでくれた。俺と共に歩むほうを選んでくれた。そのことがやっと、俺の中に実感として受け止められた。

「俺はここにいるよ、お前のそばにいるよ」

 俺が泣きやむまでずっと、ルパンは俺を抱きしめて子供をあやすかのようにして背中を撫でていてくれた。

「な、次元?」
「何だ…?」

 ようやく落ち着いた頃に改めて呼ばれ、ぐすぐすと鼻を鳴らしながら答えると、そんな俺をルパンがふふっと笑った。

「明日、この街を出る前に一緒に墓参りに行かないか?」

 どうだ? そう問われて、一瞬迷ったものの、すぐに俺は首を横に振った。

「…やめとくぜ。コーネリアだって、自分を殺した男の顔なんか見たくねぇだろ?」
「…そか」

 少し残念そうなルパン。
 今は、まだどんな顔をしてあの墓標の前に立てばいいのかわからない。だけどまたいつか時間が経ったならば。自分の中にもう少しだけ整理がついたならば。

「また、いつか、な」

 ルパンがそうしたように赤い薔薇の花束を持って会いに行こうと思う。コーネリアは俺を赦してくれるだろうか。たとえ赦してくれなくても、俺は俺の全部でルパンを守り、愛そう。彼女のことを心から愛していた、お前を。

Fin.

【あとがき】
ル次を書くようになってからずっと書きたかった、2nd50・51話『私が愛したルパン』の後日談です。
初めて2ndを見たときからこのときのルパンと次元の心情を思い遣るだけで泣けるくらいな切ない話だよなぁと思っていたのですが、『書きたい!!』と思って本気で考えれば考えるほどこのあとの二人の感情だの行動だのがなかなか決まらなくて…。それでずっと書けずにいたのですが、某方に『後日談を書きたいんだよね』と何気なく話すことがあったのですが、そしたら『ぜひ書いて!』と背中を押してもらったので、今回頑張ってみました。
個人的にはなかなか納得のいかない部分もあるんですが(次元ちゃん泣き過ぎだよwww)途中からはかなり勝手に動き出した感もあったのでこれが今ワタシの書ける限界なのかなぁとも思ったり。
最後まで読んでくださってありがとうございました!!そして途中読んで感想をくれて助けてくれたやんちんに感謝!!

'12/11/29 秋月 拝

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