初めて人を殺したのがいつだったかなんて、もう忘れてしまった。
正確には忘れる努力をしたと言ったほうがいいのかもしれない。衝撃的な記憶は、残しておけばいずれ自分を壊すことが目に見えていたから。
それからたくさんの人間を手にかけてきた。男も女も若者も年寄りも。
名前も生い立ちも知らない奴のことも多かったが、時には自分が親しくしていた奴を手にかけなければならないこともあった。
「待ってくれ! 命だけは…!」
泣きながら、引き攣った形相で命乞いをする奴に。
「悪いな…これが俺の仕事なんだ」
小さく呟いて無造作に引き金を引く。心を動かさずただ淡々と。
パン屋がパンを焼くのや、漁師が魚を獲るのとなんら変わらない。日々の糧を手に入れるための俺の仕事。
そう割り切らなければいけなかった。そうでなければ人間の脆い心など簡単に壊れてしまう。
死神だとか暗黒街一のガンマンだとか。そんな呼び名が増えていくにしたがって、益々俺は仕事だと自分に言い聞かせて引き金を引いた。
とっくの昔に捨てたはずの良心が痛むこともあった。だが同時に、心のどこかには仕事を楽しんでいる自分も居た。
感情の狭間で揺れ動き続ける自分が嫌で嫌でたまらなかった。だが死ぬまで続くんだと信じていた。
それが、自分の人生なのだと信じていた。
安息も安寧も、ましてや人並みの希望も。生きている限り俺の手には入るはずのないもの。
この仕事に手を染めた自分が望んではいけないもの。
一度泥沼に嵌ってしまえば、そこから解放されてそれらを得る術は、死ぬことしかない。
そして自分の死は、自分と同じような死神を仕事にする人間によってもたらされるものだと信じて疑わなかった。
だが自分の前に現れる死神たちは誰も自分に死をもたらすことが出来なかった。
俺はそれがとても悲しかった。決して死にたかったわけではない。
本当に死にたいのならば自分に向けて引き金を引けばいいだけだし、残念ながら俺にはそうするだけの勇気もなかった。
ただ漫然と依頼をこなすだけ日々。
帽子を目深に被って感情を押し殺し、必要以上に人と関わることもせずに、言葉を忘れたかのように押し黙る。
報復を警戒して眠れぬ夜を過ごし、良心の呵責に耐えかねては酒に溺れ、時にその恐怖を紛らわすために気まぐれに女を抱き、その反動で受けた依頼ではいつもよりも多く引き金を引いた。
けれどこんな日々が長く続かないことも知っていたから、不思議とどんな仕事も怖くなかった。人間いつかは死ぬのだ。
ただそれが、明日なのか、何十年も先なのかの違いだけ。
そんな夢も希望もない世界にいた俺は、ある日一人の男に出逢った。不思議な男だった。頭が切れる上に腕も凄まじく良い。
裏の世界では知らないものはいない大泥棒。その男は俺に向って相棒になれといった。
「何故だ」
そう問うた俺に男は事も無げに答えた。
「お前が気に入ったのさ」
変な男だと思った。
だが一緒に仕事をするにつれ、俺はどんどん男に惹かれていった。
この男の隣にいるだけで、どんなことも面白くなる。次はどんなことが起こるのだろう。どんなことをしでかしてくれるのだろう。
振り回されるのも確かだが、その状況を楽しんでいる自分が居た。
この男の全てを見てみたい。この男と共にどこまでも行きたい。この男の目指す先を俺も一緒に見てみたい。
いつしか俺はそんなことを思うようになっていた。
この男のためならば、俺はなんだってするし、なんだって出来るだろう。男は、ルパン三世という男は、俺にとっての全てになっていた。
だが同時に言い知れない不安も感じていた。俺とルパンとではあまりに住む世界が違いすぎる。
俺はここに居てもいいのか。ルパンの隣に立っていていいのか。
いや、それ以上に。過去が俺を苦しめた。血に塗れた両手で、ルパンという憧れを求め続ける自分の浅ましさに反吐が出る思いだった。
俺は、何様のつもりだ。
―げん………じげん……―
ふと、どこかで俺を呼ぶ声がするのに気付いた。
ここはどこだ。まるで雲の中に浮かんでいるようなふわふわとした感覚。深い霧の中のような真っ白な世界には上も下も右も左もない。
何故か負の感情にざわついていた心も今は穏やかで、何もないこの空間は酷く心地いい。
俺を呼ぶのは誰だ。このままにしておいてくれ。やっと安寧を手に入れることが出来たのだから。
こんなにも穏やかで優しい気分になれたのはいつぶりだろうか。
「次元っ!!!!!」
はっと我に返った俺が目にしたのは白い天井と頭上に吊るされた点滴の容器。そして。
「る…ぱん?」
俺を覗き込むルパンの顔。目の下には薄っすらと隈がある。寝てないのか? 何よりも最初にそんな疑問が頭を過ぎった。
「何で…お…れ」
声がまともに出ない。おそらく病院だろうということは想像が付いたが、なぜこんなことになっているのだ。
意識だけはあるが、自分の意思でろくに身体が動かないのは何故だ。
「この…大馬鹿野郎!!!」
だが、ルパンは俺の問いに答えることもなくそんなことを叫んだ。
いきなり馬鹿呼ばわりはねぇだろう。ああそうか。
つながれた点滴。鈍く疼くような痛みが腹の辺りにある。そこでようやく状況をおぼろげながらに把握する。
「俺…そうか…」
仕事の途中で撃たれて、そして、おそらくは生死の境を彷徨っていたのだろう。
「ここ…病院だよな?」
「あと数センチ、弾が逸れてたら確実にあの世行きだったんだぞ」
なんで俺を庇った。
言われてようやく記憶が繋がる。
敵の放った弾丸はルパンに向っていた。俺はそれを庇ったのだ。
「なんで」
「…」
俺は答えられずにいた。
理由は、もちろんある。だがそれを口にするのはひどく躊躇われた。
俺はルパンに出会って違う世界を見た。人の血に塗れるだけが人生じゃないと教えられた。
ルパンに出会わなければ、きっと今でも俺はあの薄暗い血の臭いのする世界にいたはずで、
そう遠くない未来に自分の望んでいた通りにのたれ死んでいたはずである。
「次元、言ったはずだぜ。もう"誰も"殺すなと」
初めて一緒に組んだ仕事の時、敵に容赦なく銃口を向けた俺に、確かにルパンはそう言った。
俺の目の前で誰も殺すな、と。
「誰も…その中にお前も入ってるんだぞ」
くしゃっとルパンの顔が歪んだ。
俺は。この男がそんな顔をするのを初めて見た。
「次元…俺を庇って弾に当たった瞬間、お前、すっげぇ救われた顔してた…」
搾り出すような低い声。
「そんなに……死にたかったのか…?」
「俺は…」
死にたかったわけじゃない。それよりもきっと。
「なぁ、次元。教えてくれ」
「……俺はたくさんの人間を殺してきた。その罪滅ぼしにもならねぇのは分かってるけど…俺は…お前だけは絶対に俺の命を懸けて守るって決めたんだ。だから俺は」
お前を守るためなら死んでいいって、そう、本気で思ってんだ。
俺に別世界を見せてくれたお前を。俺に存在価値を与えてくれたお前を。本気で『死なせたくない』と思った。
「それが馬鹿野郎だって言うんだ。俺はお前なんかに守られなくったって生きていけらぁ。それでも俺のためになりたいって言うんなら」
俺のために生き抜いて見せろよ。
また、くしゃっとルパンの顔が歪んだ。
「次元」
「んだよ」
「俺たちは確かに世間に顔向けできないようなことを仕事にして生きてる。死ねば確実に地獄行きだ」
けどよ。
ぎゅっと手を握られた。その手は暖かくて。俺もルパンも生きてるんだって思ったらなんだかほっとした。
「生きてる間、俺達が幸せになろうとしちゃいけねぇ理由なんかどこにもねぇだろうが」
その言葉の意味がしばらく分からなかった。幸せ。幸せってなんだ。そもそも俺なんかが望んでいいものなのか?
他人の幸福を奪い続けてきた死神が己の幸福を望むなんか、馬鹿馬鹿しいにも程があるんじゃないのか?
「幸せ…」
ただ許されるのならば、俺の幸せはルパンが生きていてくれることただそれだけだ。
だけど、そのために俺が死ぬことは許されないのか。
「お前の幸せが俺が生きてることだって言うんだったら。お前だって俺の幸せを奪うんじゃねぇよ」
真剣な黒い瞳が俺を見詰める。
「俺より先に死ぬな。お前のいない世界なんか、何一つ意味がない」
視界が歪んで、ルパンの顔が見えなくなる。そこでようやく俺は自分が泣いていたことに気付いた。
望んでもいいというのか。お前がいるだけの世界ではない。俺がお前と共に在れる世界を。
俺の、幸せを。
「ルパン…」
溢れ出す思いを言葉にできない。
ルパンも泣いていた。なんでお前が泣くんだ。そう聞いたけれどやっぱりルパンも何を言っているか分からないくらいに泣いてしまって、結局訳もわからず泣き続けてそして疲れ果てて眠ってしまった。
『どこへも行くなよ』
眠りに落ちる瞬間、俺はそんなルパンの声を聞いた気がした。
大切な存在のぬくもりを抱いて眠る。俺は今、世界一幸せだと思った。
Fin.
【あとがき】
ツイッターで某方の『次元ちゃんはいっぱい人を殺して幸せを奪うのが自分の仕事だから、自分は幸せになっちゃいけないんだって思ってるんだけど、ルパンがお前も幸せになったっていいんだぜっていう話が読みたい』というツイートを読んでやらかしましたwwww
その時は燃え上がってわかるぅうううう!ってなって勢いだけで書き始めてみたのですが…玉砕しました(´;ω;`)
うああああ違うんだぁああああもっとこう…さあああああ…orz
自分的に納得はあまりいってないのですが、これ以上時間をかけると確実にお蔵入りにすると思ったのでとりあえずアップしてみました
お目汚しすみません。最後まで読んでくださってありがとうございました!!
'12/06/15 秋月 拝