セブンティーン・メランコリー

「なあちょっと」

 学校帰りの次元を捉まえてぶらぶらと遊び歩くのが俺たちの日課。その日もそうでお気に入りのアイス屋に寄った後、俺は話があるからと、少し人通りの少ない道に次元を連れ込んだ。

「何?」
「俺、昨日ついに"やった"んだぜ」

 薄暗い路地の、古びたビルの陰。開口一番にそう言うと、次元は俺の目の前でアイスキャンデーを咥えたままぽかんとして、何のことかわからないと言った顔つき。咥えた唇の熱で溶けたミントアイスが棒を伝ってぽたりと垂れ、次元の制服のシャツに薄緑の染みを作った。

「は? …それはもしかして…あれか? その…」

 たっぷり10秒ぐらいフリーズした挙句、そこでようやく溶けて服を汚したアイスに気付いたらしい。適当に手で拭ってから、慌てて柔らかくなり始めたそれに齧り付く。そのうちやっと俺が話題にしようとしていることの内容に気がついたのか、声を潜めて言いにくそうに言葉を濁すから。

「そ。えっち。しちゃった」

 俺は自分の分のラズベリーアイスクリームをぺろりと舐め上げて、けろりと答えてやると、次元は眉を顰め何とも言い難い奇妙な表情になった。
 健全な十代ならば間違いなく持っているだろう興味と好奇心。そして年下の俺に先を越されたことへの困惑と、思春期ならではの潔癖な感情から派生するほんの少しの軽蔑。そんな多種多様な感情が入り混じった、何とも言えない苦い顔。そんな顔で俺をしばらく見つめていたが、それでも最終的には興味と好奇心が、困惑に勝ったらしい。溶けかけのアイスを、頭が痛くなるんじゃないかとこっちが心配になるくらいのものすごい勢いで食べきると、

「…誰と?」

 と聞いてきた。

「ほら。うちのメイドのさぁ」

 顔を合わせたことはあるはずだからと思って名前を出してもピンと来なかった様子で眉根を寄せる。だから、『ほら。ちょっと癖毛のブロンドで、背が割と高くて胸のでっかい』と女の容姿を羅列してやると、それでようやく誰のことだか判ったらしい。

「ああ、あの色っぽい」
「そーそー」

 ぽんっと手を叩いて納得したような顔になる一方で、だが次元はまだ合点のいかない様子でしきりに首をかしげている。

「何。どしたの」

 不思議顔の次元にそう問えば。

「なんでそうなったんだ?」
「は?」
「だってそうなるには理由があるだろ?」
「理由?」

 互いに顔を見合って首を傾げる。どうも会話が噛み合わないからよくよく問うてみれば。

「だってそうだろ。そのさ………そーゆーことするってことはさ、好きだからだろ? お前、いつからあの人のこと好きだったんだよ。それとも向こうから告られたの?」

 そこまで言われて俺はようやく次元の真意を理解する。そこに至るのに恋愛感情があったのかと。いつそんなものを育んだのかと。次元が聞きたいのはつまりそういうことらしい。

「いや、別にそんなのないけど?」
「は???」

 あっけらかんと答えると、次元はまたしてもぽかんとした顔になった。好きとかどうとかそんな感情は俺には一切なかったし、もちろん向こうにだってそんなつもりは全くなかっただろうと思う。というか。

「つーかさ…そろそろ女の扱いを覚えるのも必要だって言われてたんだよね。よくわかんねえけどそーゆーもんなのかなーとか思ってたら、向こうが誘ってくるしさ。案外あれじゃない? 親父の差し金なんじゃないの?」

 まあそれが真実だろう。親父からこの仕事を仰せつかった女は、むしろ喜んでこの仕事を引き受けたかもしれないなとさえ思う。なんて言ったって帝国の御曹子の初めての相手を仰せつかったのだから、さぞ鼻も高い事だろう。俺に関わる全ては、俺が将来この国を継ぐのに必要な帝王学のお勉強。それがたとえ女と寝ることだって。

「でもよぉ、やっぱすっげぇ気持ちよかったぜ?」

 そこに愛なんてものはなくったって。その部分はあえて言葉にせずに飲み込み、黙りこくってしまった次元を茶化すようにそう言ってみるが、俺の答えが不満でしかないのだろう。次元は食べきったアイスキャンディーの棒を噛みしめたまま、むすりとしてこちらを見ようともしない。

「つか、お前さえその気ならうちの女の子紹介するぜ? お前、自分じゃ気づいてないかもだけど、結構モテるんだぞ?」

 それは、悔しいけれども事実。うちのメイドたちの中には次元を狙ってる子は多い。俺より年上で大人っぽくなってきている次元は、ようやく声変りが済んだ程度のガキの俺より恋愛対象として興味も沸くだろうと思う。まあそれ以上に彼女たちが次元を狙うのには『三世様(オレ)の親友』というプレミアがついてるせいもあるけれど。
 だが。

「…嫌だ」

 次元は、俺の方を見ようともせずにぼそりと吐き捨てるようにして答える。

「なんで」
「だって俺は…」

 そこで言葉を切って、少し迷ったように視線を路地の奥の宙に彷徨わせて。それからゆっくりと俺に視線を向けた。

「…俺は……そういうのは好きな子としたい」

 むすりと引き結んだ唇。そう強い声で言い切ると、呆気にとられている俺を残して、大通りへとずんずんと大股で去って行ってしまった。

「…何だよ。んなロマンチスト気取って、一生チェリーちゃんになったって知らねえからな」

 去って行く背中に向かって悪態をついてみるが、俺は、なぜか虚しい気分になるばかりだった。

 なんとなく喧嘩別れをしたみたいになって顔を合わせづらい日が何日か続いた。気まずいままでいるのも嫌で一度会いに行ったが、向こうが俺のことなんか気にも留めていないような顔をして無視するもんだから、そうしたらなんだかこちらが謝るのも可笑しいような癪に障るようなそんな気分になって意地になっているうちに、いつの間にか数か月が経ってしまっていた。
 その間に俺がしていたことといえば、面白くもない帝王学のお勉強と、女遊びばかり。最初の女の子ともだけれど、それからは入れ代わり立ち代わりみんなが俺に声をかけてくるようになっていたから、俺は誘われるままに遊んだ。どこまでが親父の差し金で、どこからが女の子達の意志だか知らないけれど、そんなことは俺には別にどうでもよかった。

 そんな頃だ。風の噂で次元に彼女が出来たらしいことを知ったのは。
 それを知ったきっかけはうちのメイドの子(一応彼女の名誉の為に言っておくと、俺とは寝たことのない子だ)だったのだが、ある日酷く泣きはらした顔をしていたから気になって理由を聞いたら、『彼女がいるから』と言って次元にフラれたのだと答えたのだ。
 俺はその子が可愛そうだなとか、次元の奴女の子泣かすなんて何やってんのとか、そんなことを思うよりも真っ先に、女の子ってのは好きな男に振られたら目が腫れるぐらいに泣けるもんなんだなと思って、そのことに物凄く感心してしまった。
 次元に彼女が出来たことにも驚いたし、それに何よりあんな啖呵を切ったロマンチスト野郎が選んだのがどんな子なのかめちゃめちゃ気になって、よせばいいのに俺はこっそりと冷やかしに行くことにした。別に次元の相手がどんな子だろうと、俺には全く関係ないというのに。
 相手はすぐにわかった。学校からの帰り道を2人で並んで歩いていたからだ。遠目に見ただけだけれど美人というよりは可愛らしいという感じで、どこにでもいそうな大人しそうな女の子だった。名札に付けられた学年章からすると次元よりは1つ年下らしい。次元はあの子のどこが良かったんだろう。というかどっちから告白したのかな。その前にいつどこで知り合ったんだろう。並んで歩く2人を眺めながら俺はそんなことをつらつらと取り留めもなくと考えてみるけれど、残念なことに何一つ想像がつかなかった。
 手を繋ぐ訳でもなく微妙な距離を保ちながらぎこちない会話を交わす。そんな初々しさが見てる方には恥ずかしくなるくらい。そんなぎこちなさは俺にしてみればめんどくさそうに見えて仕方ないのに、でも、心のどこかでそんな光景に僅かながらでも羨ましさを感じている自分がいることに気づいて、俺はそんな自分に驚く。結局、見に行ったことを後悔しつつ、もやもやした気持ちのまま俺は2人の背中から目を背けた。

 そのまま屋敷に帰る気分にはならなくて、夕方の授業をすっぽかして街をあてもなく適当にぶらついた。夜遅くなって帰るとお目付け役の執事頭にいつものように怒られたが、ブロンドの彼女が食事を用意してくれていた。彼女にも小言を言われつつ食事と風呂を済ませた後、珍しく俺の方が誘ってベッドへと雪崩れ込んだ。

「…何、考えてるんですか?」

 自室の、天蓋のついた大きな柔らかいベッドの上。下着姿で横たわった女には、俺が上の空だということはお見通しらしい。

「駄目ですよ。三世様。誘ったならちゃんとしてください。たとえそれが演技でも」

 半裸の俺を抱き寄せる身体は少し冷たくてでもとても柔らかい。耳元でくすくすと笑う女は、どんな時でも俺を三世と呼ぶ。

「…その呼び方止めてって言わなかったっけ?」

 柔らかな脇腹を撫で上げながら少し怒ったように言ってみるが、女はくすぐったそうに身をよじりながらまた、笑う。

「それはできませんとも申し上げたはずですよ? ご勘弁ください」
「…やっぱり親父の差し金なの?」

 これ。と問うと、女は少し困った顔になり唇を閉ざした。答える気はないらしい。だがそれが逆に俺の問いを肯定したようなものだ。背中に回した手でブラジャーを外し、柔らかな頂に舌を這わせると、女は僅かに甘い吐息をついた。

「…ねえ、俺のこと、好き?」

 なんでそんなことを聞いてみたのか。自分でもよくわからない。

「もちろん」
「ほんとに?」
「嫌いならこんなことしません」

 そう言って女は微笑んだ。好き。でもそれはきっと、単純な恋愛感情じゃない。大体、俺は彼女のことだって名前と身体しか知らない。生まれも育ちも年齢も(まあこれは『レディに年齢を聞くのはマナー違反です』と怒られたせいもあるが)知らないし、今までどんな人生を過ごしてきたのかも、今までどんな男と付き合って寝てきたのかだって、何一つ、知らない。セックスは気持ちいいけど、それだけだ。好きとか嫌いとかそんなものは必要なくて、今の俺に必要とされているのは、女を利用するためのスキルとしての技術(セックス)を身につけること。ただそれだけ。気持ちいいのはそのおまけみたいなもんだ。
 なのに。
 なんで俺は女を抱いてる最中だというのに、ぎこちなく笑い合っていた次元たちの顔ばかりが思い浮かぶんだろう。なんで俺はこんなに空っぽでこんな虚しいんだろう。なんで。なんで。
 俺の下で甘い声を上げる女を見下ろしながら、俺はその光景や感情を振り払うかのように、ただ行為にだけ集中することにした。

 それからまた何日も経ってからだった。
 俺の隣で寝息を立てる女を横目に、俺はその日なんとなくそのまま寝る気になれなくて屋敷を抜け出した。
 少し西に傾きかけてはいたが煌々と輝く満月の下を、目的もあてもなくただぼんやりしながらふらふらと彷徨っていると、遠くから乾いた銃声が何発も響くのが聞こえてきた。どうやら街はずれの丘の方。それは俺と次元がよく溜まり場にしている場所だ。俺は銃声の主が次元だと直感し、踵を返してそちらへと足を向けた。

「…よぉ、次元。久しぶりだな」

 丘の上の大きな樫の木に愛用の銃を向けて対峙する次元は、俺のかけた声には答えない。枝を広げた大振りの樫の幹には真新しい射撃訓練用の的が貼ってあったが、あれほど何発も銃声がしていたくせに穴は1つもなかった。無言のまま銃口を向けた次元は、またも続けざまに引き金を引いて弾丸を幹に叩き込むが、最後の1発がようやく的の端を掠めただけで弾丸が中心を射抜くことはなかった。帝国の射撃大会の上位常連で、大人とも遜色のない射撃の腕を持つ次元にしては相当珍しい。

「…何か、あったのか?」
「…お前さ。この間、俺たちが一緒に帰ってるとこ見てたろ」

 俺の問いかけからしばらく間があった後。次元は空の薬莢をバラバラと地面に落としながら、ぽつりと呟いた。
 俺たち、というのが次元と次元の彼女のことだということはすぐにわかった。それに嘘をついたところで意味はないから、素直に認める。

「ああ。可愛い子だったな」

 わざと明るい声で言った言葉にも次元は答えず、淡々と弾倉に弾を込めていく。ガシャリと音を立てて乱暴に弾倉を戻して両手で構え、ゆっくりと狙いを定めて2発続けざまに引き金を引く。だがそれでも弾は的を射ぬかない。

「なあ、じげ…」
「彼女、帝国を出るんだと」

 親父さんが任務で怪我をして、もう工作員として働けないからそれで。ぽつりぽつりと独りごとのように吐き出される言葉で、俺は全てを悟った。
 この国を出る人間は生まれたての赤ん坊を除いて例外なく記憶を操作される。この国の記憶を消し、偽の記憶を上書きされるのだ。裏世界での全てを忘れ、表の世界へと帰るために。それはルパン帝国を守るための厳しい掟ではあるが、同時に本人の為でもあるのだ。残りの人生を平穏に生きる為に必要なこと。だから彼女も例外なくこの国での全ての記憶を消されてしまう。この国で過ごしたこれまでの全てを。学校も友達も、そして、次元のことも、何もかも。
 また、続けざまに2発。的に穴は開かない。流れ弾に当たった枝がばさりと音をたてて地面に落ち、抗議の声を上げながらバサバサと羽音を立てて大きな影が飛び去って行った。

「…お前も………出てってもいいんだぞ?」

 本当に彼女のことが大切なのならば。俺は、そんな心にもないことを口にする。そんなことが出来ないのは俺が一番良く知っている。また1発銃声が響く。辺りに立ち込める硝煙の匂いはどんどん濃くなっていく。
 明るい月の下でも、少し離れたところにいる俺からは次元の表情まではわからない。なあ、どんな顔で引き金を引いているんだ? お前は今…どんな顔で…泣いてるんだ?

「次元」
「…俺は……行けねぇよ」

 また、1発。その最後の1発も、やはり的には当たることはなかった。

「俺は……行けねぇ。ここを出るなんて……俺には出来ねぇ」
「なんで?」

 問いかけながら、俺はそっと足音もたてずに近づく。

「だって」
「だって?」

 月明かりに浮かび上がった次元の横顔は、みっともないくらいに涙でぐちゃぐちゃだった。

「……だって………俺は、お前を裏切れねぇもん」

 真横に立つ俺に視線を向けることもなく、消え入りそうな声でつぶやいて引いた引き金。だが弾のなくなった弾倉は撃鉄に弾かれてもカチリと小さな音をたてただけだった。
 ぎゅうっと心臓を鷲掴みにされたかのような衝撃に襲われて、俺は息を呑んだ。時間が止まったかのような感覚。互いにかける言葉を失って、ただ、月明かりの下に立ち尽くす。

「…なあ、次元」

 どれくらいの時間そうしていたのだろう。沈黙に耐えかねて、先に口を開いたのは俺だった。

「何」

 問われ、俺は自分が何を言いたかったかもわからず。

「彼女と……寝た?」

 そんな、酷く間抜けな問いを投げかけてしまう。何を聞いているんだ。俺は。だが次元がそれに怒ることなく、ただ力なく頭(かぶり)を振っただけだった。

「じゃ、キスは?」

 また、小さく頭を振る。

「そ」

 何も言わずただ惰性のように弾を詰め替える次元にもう一歩近寄ると、俺は小さく背伸びをして、そして、そっとその頬に口づけた。涙で濡れたその頬は酷くしょっぱかった。それから今度はもう一度、その少し厚い唇に唇を寄せる。女のそれとは違う、かさかさしたとした感触。俺は自分でも何でそんなことをしたのかわからなかったけれど、でも、次元も何も言わなかった。まるで俺の存在などそこにないかのように、そして何事もなかったかのように、黙って弾倉を戻す。

「…帰ろうぜ」

 夜が明けちまう。くるりと踵を返した俺の後ろで、また6発立て続けに銃声が響いて、そして微かにこだまを響かせながら夜空に吸い込まれて消えていった。
 そこで俺はようやく気付く。ああ。俺は羨ましかったんだな、と。失った時に目を腫らすほどに泣ける、そんなものがこの世界に在ることに。

 煌々と照っていたはずの月はいつの間にか少しその光を弱め、西に沈みかけようとしていた。

Fin.

【あとがき】
エレファントという映画のキャッチコピー「キスも知らない17歳が銃の撃ち方は知っている」というのを知って、もうこれはジャリでやるしかないと思ってやらかしました。多感な思春期の次元ちゃんがこんな感じの子ならいいな、と思ったのですが、何故だかジャリルパンの空虚さが目立つ作品に仕上がってしまいました。でも後悔はしていない。です。

'14/07/12 秋月 拝

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