ここに連れてこられてどれくらい時間が経ったろうか。窓もない、薄暗い地下室では、時間を知ることすら叶わない。
眠ることも食べることも許されずに続く拷問は、次第に次元から正常な判断能力を奪おうとしていた。
「ほらほらどうした?」
大した抵抗も出来ずに拳を叩き込まれ、天井から吊り下げられた身体が踊る。
「か…は…っ」
胃の内容物はおろか胃液すらも吐きつくし、もはやその口から零れるのはか細い呻き声だけ。
「どうだね? そろそろ我らの要求を飲んだらどうだ?」
次元の目の前に座る男が、ゆっくりと口を開いた。
次元をここに連れてきた張本人。とあるシンジケートのトップに立つ男。
細いふちの眼鏡の奥から、冷たく神経質そうな細い目が次元を見据えてくる。
近頃ルパンにちょっかいをかけているのは知っていたが、
こんなにも直接的な方法に出てくるとは思っていなかったせいで、少し油断した。
それが何時間前のことだかも分からないが、アジトを出て煙草を買いに行った先で、次元は黒尽くめのいかにも怪しげな男達に取り囲まれた。
そこで大立ち回りを演じてもよかったのだが、昼間の街中は人通りが多く、
次元が下手に抵抗すれば一般人の犠牲は免れないような状況だった。
自分達に害を為す者に対して情けをかけてやるほどお人よしのつもりもないが、
自分達に関係のない人間が巻き込まれるのを躊躇うくらいには分別はあるつもりだ。見知らぬ一般人の命を危険に晒すのは本意ではない。
ここは自分が大人しくついていくのが最良だと判断した次元は、男達に促されるまま黒塗りの車に乗り込んだのだった。
「それとも強情を張ってこのまま死ぬか?」
「…へっ…何度言ったら分かるんだ? お前、耳悪いんじゃねぇのか?」
男の顔すらぼやけてよく見えないが、次元は精一杯そのスカした顔を睨みつけてやる。
「やれやれ、まだそんな口をきく余裕があるとは」
ついっと男が視線を送ると、次元の脇に立っていた手下が、無造作にその拳を次元の腹に叩き込む。
「ごふっ…!! がはっ…!!」
激しく咳き込めば、血の混じった唾液がぼたぼたと地面に落ちる。
「これが最後のチャンスだ、次元大介。ルパンを殺せ。お前の手で。…私の言うことを聞く気はないのかね?」
冷ややかに問いかけた男に、次元はペッと唾を吐いた。
べしゃ、と、血の混じったそれは男の白い頬を汚した。
「なるほど。これが答えか? それではやはり、君の命までも貰わなければならないようだな」
「は…上等じゃねぇか。生憎俺は、相棒の命と引き換えに自分が助かろうなんて、下衆な考え持ち合わせちゃいねぇんだ」
血で汚れた口元をにやりと歪めれば、男のほうもにやりと笑った。
「降ろせ」
男は傍らに立つ男に命じる。身体を支えていたロープが切られ、次元は地面に崩れ落ちる。冷たいコンクリートの感触。
「無様だな。かつては死神とまで呼ばれた男が」
「何とでも言え。どんなことをされようとも、俺があいつを殺すなんてことはありえねぇンだ」
吐き捨てるように言い、ゆっくりと身を起こす。長時間吊られていたせいで、身体はなかなか言うことをきかない。
軋むような痛みは全身にあるが、幸いにして骨が折れているようなところはなさそうだ。
ならば。まだ、チャンスはある。
「俺を殺すか?」
痛む足で立ち上がり、真正面から男を見据える。
「それもまた致し方ない。残念だ。君のような男を殺さねばならないのは」
じゃきん、と鈍い金属音が響く。男の手の中で光るのは、次元のマグナム。
「俺の銃<おんな>に触るんじゃねぇよ」
「いい銃だ。よく手入れされている。これがあの有名なコンバット・マグナムか」
冷たく光る銃口が、次元の額に向けられる。
「まぁ待てよ。殺される前に、最後の一本ぐらいいいじゃねぇか?」
「…いいだろう」
男がくいっと顎をしゃくり、合図する。その合間にも、銃口がぶれることはない。
差し出された煙草に火を点け、深々と吸い込む。いつもと違う香り。この種類はあまり好きではないが、致し方ない。
しばらくぶりの煙草の煙は全身を巡り、停止していた頭を働かせ始める。
ここから脱するにはどうすればいい? どうすれば?
敵は4人。目の前に座る男と、周りに控える男達。武器はマグナムとマシンガンが2丁。
他にもナイフあたりぐらいは出てくるかもしれない。
「さて、心の準備はできたか?」
「…その前に、1つ聞かせてくれねぇか」
「何だ?」
「ルパンを消して、あんたに何の得がある?」
紫煙を吐き出しつつ、男に問う。…焦れば負けだ。一瞬の隙を突かなければ。
「ルパン三世という、裏世界に君臨するものを倒せば、自ずとその名声は上がる」
「ついでにあんたのシンジケートも大きくなる」
「その通りだ」
「…小さいねぇ」
「…なんだと」
あえて挑発するように選んだ言葉は、確かに男の神経を逆撫でたようだった。
それまで崩すことのなかった表情を微かにひきつらせる。銃口が、微かにぶれる。
「だってそうだろ? そこまでの野心があるなら、なぜ自分の手でルパンを殺らない?
ルパンは殺れなくても俺なら殺れるからか? 舐められたもんだな、死神次元大介も。
勘違いするなよ。俺がもし万が一ルパンを手にかけたとして、上がるのはお前の名じゃない。俺の名だ。
お前は俺に頼らなければ、ルパン1人殺せない腰抜けだ」
「…俺を挑発しようとしても無駄だ、次元。
なんとでも言うがいいさ。目的のためには手段は選ばない。それが裏社会のトップに立つための方法だ」
言葉とは裏腹に、僅かながら引き攣った口元。構えた銃も、僅かにぶれる。今なら、やれる。
「………なら覚えとくといい。俺もまた、目的のためには手段を選ばない男だってことをな」
言葉が終わらないうちに、短くなりかけていた煙草を男に向かって弾く。
全員の意識がそちらへ一瞬逸れた。その隙を衝いて。
次元は男の手からマグナムを叩き落した。
「なっ…」
男達の間に動揺が走る。あれだけ痛めつけたにも関わらず、俊敏な動きを見せる次元に、男達は一瞬呆気に取られていた。
そして、男達がマシンガンを構えるよりも早く、大きな銃声が轟いた。素人耳には1発の銃声にしか聞こえなかっただろう。
だが、ほぼ同時に4人の男達が崩れ落ちる。0.3秒の早撃ちを持ってすれば、ある意味朝飯前の行動。
「…本気で俺を殺すつもりなら、最初に俺の右腕だけでも潰しとくべきだったな」
むせ返るほどの硝煙と血の匂いの中で、足元に倒れる男に向かって次元は小さく呟いた。
「ばか…な…」
自分の見たものが信じられないというように見開かれた眼は、やがてその光を失った。
「さて、帰るか…」
小さくひとりごち、部屋の隅に置かれていたジャケットと帽子をとって、次元は地下室のドアを開ける。
「ああ、そういや、煙草頼まれてたんだったなぁ」
元々は、ルパンに頼まれて煙草を買いに出たところだったのだ。
この恰好で帰ったら、さすがにまずいだろうか。
「まぁいいか…」
今更別のアジトに寄って、身づくろいをしてから帰るというのも、考えるだに面倒くさい。
散々に痛めつけられた挙句に、普段やらない大立ち回りを演じさせられた身体は、さすがに悲鳴を上げている。
次元はジャケットの奥を探り、出てきた最後の煙草に火を点けた。
「じゃあな、あばよ腰抜け」
空しく横たわる男に、紫煙と共に小さく声をかけ、次元はドアを閉めた。
Fin.
【あとがき】
どんなに痛めつけられても、ルパン様には背かない。どんなに追い詰められた状況でも諦めない。
そんな恰好いい次元さんが書きたい衝動に駆られて出来上がった産物です。
読み返せば読み返すほど、いろんな意味で痛いなぁと思いつつ…
それでも、こんなハードボイルドも大好きです。かっこよく書けないけど…!
'11/01/29 秋月 拝