「さぁ次元、どうする?」
2本のこよりを目の前に、ルパンと次元は対照的な表情を見せていた。
差し出したルパンはニヤニヤと締まりのない顔を見せ、差し出されたほうの次元は、この上なく緊張した面持ちでそれを眺めている。
「俺はどっちでもいいんだぜ? お前が『どうしても』って言うからくじ引きにしてやるんだ」
「決めた!!」
どうやら決心がついたらしい。次元はこよりの1本を選ぶと、思いっきりルパンの手から引き抜いた。
その先には、…赤いインクの印。
「大当たり〜〜〜!!」
「マジかよ!? ちょっとそっち見せろ!!」
「自分で引いといて男らしくねぇなぁ! 賭けはお前の負けなの!!」
ルパンは手にあったこよりをゴミ箱に捨てると、傍らに置いてあった衣装を次元に差し出す。
「ってわけで、これはお前の衣装ね〜」
糊の利いたシャツに、丈の短いベストと同系色のクロスタイ。燕尾のジャケットに、きっちりプレスされたスラックス。
白い手袋に懐中時計まで用意してあるところが、ルパンらしく芸が細かいというか。
「ちょっと着てみろよ。サイズ合わなかったら裁縫しなきゃいけねぇからな」
「普通は言いだしっぺがするもんじゃねぇのか、こういうことは」
不満たらたらの次元だが、それでも素直に差し出された衣装を受け取り、しぶしぶ隣の部屋に消えた。
そして5分後。
「…これでいいのかよ?」
「わー、次元ちゃんてば、か〜っこいい〜」
渡された衣装に着替えて登場した次元に、ルパンはピュウと口笛を吹いた。
普段のダークスーツ姿とはまた雰囲気が違う、スッキリしたシルエット。
「ちょっと、『お帰りなさいませ、ルパン様』って言ってみてよ」
「やなこった。大体、それで何で次の仕事が執事なんだ? ちゃんと説明しろってんだ」
次元は苦虫を噛み潰したような表情で、煙草に火を入れる。
仕事だからと呼び出されアジトに来てみれば、次の仕事はこれで行く! と、満面の笑みを浮かべたルパンに差し出されたのは
件(くだん)の執事服。
その突拍子のなさにごねて見せたものの、結局はくじ引きに負けて、衣装を着る羽目になってしまった。
仕事のための変装ならばいたしかたない。そう思う反面、理由がわからないのにこんな恥ずかしい恰好ができるもんかとも思うわけで。
眉間にしわを寄せてルパンを睨めば、当の本人はどこ吹く風で飄々としている。
「いやぁ、良く似合ってるぜ〜。そう怒るなって。ちゃんとこれから説明するからよ」
同じ様に咥えた煙草に火を入れながら、ルパンはバサバサと資料を広げだした。
「お前、もちろんレオナルド・ダ・ヴィンチは知ってるよな?」
「…お前、俺を馬鹿にしてんのか? ってかそれとこれとどういうつながりがあるんだよ。分かるように話せ」
ますますの渋面で次元。
ルパンの話が突拍子もないのも、やることが突飛なのもいつものことなのだが、置いていかれる自分はつくづく損な役回りだと思う。
「話は最後まで落ち着いて聞けっての。
そのダヴィンチの代表作といえば、ルーブルに保管されてる『モナリザ』だが、実はそいつがこの世にもう一枚あるって知ってたか?」
「…まさか」
「そのまさかなのさ。実際にはモナリザの試作品というべきかな? とにかく、そのもう1枚の幻のモナリザが今回のターゲットなのさ」
トントンと資料を示しながら、ルパンは説明をしていく。
「なるほど、お前さんが好きそうな、胡散臭くて突拍子もないネタだな。で、そいつを持ってるのが、こいつ…か」
広げられた資料の中に混ざる1枚の写真。神経質そうな銀髪の老紳士の写るそれを、次元は面白くもなさそうにつつく。
「そ。イタリアの大企業、バルドーニグループの総帥、サルヴァトーレ・バルドーニその人さ」
次元もその名前は聞いたことがある。貿易を中心に、小売から金融まで、ありとあらゆる分野で勢力を拡大している超有名財閥だ。
「大物だな」
「相手にとって不足はねぇ。だが、そのありかがちょっとばかり面倒なのさ」
短くなった煙草を灰皿に押し付け、やれやれ、と言った表情でルパンは肩をすくめた。
「お宝は奴の別邸にあるんだが、その別邸ってのが厄介なんだ」
「ただの屋敷じゃないと?」
「そこはバルドーニ一族の人間すら入ることは許されない、サルヴァトーレの個人的な別邸なんだ。
屋敷に出入りできるのはサルヴァトーレ本人と、奴の身の回りの世話をする数人の使用人だけ…」
「…なるほど、なんとなく読めてきたぜ。それでこの恰好なんだな?」
「あたり〜さすが次元ちゃん、飲み込みが早いこと」
ルパンはパチンと指を鳴らしてみせる。
「つまり俺にこの恰好で屋敷に潜入し、屋敷内部の様子を探れってことか」
「そ〜ゆ〜こと〜」
屋敷に潜入する手はずは整えてあるからさ〜。そう言って、ルパンは1通の封書を取り出す。
「これ。奴の知り合いからの紹介状ってことになってる」
「…お前、何か隠してないか?」
封筒を受け取りながら、次元がじろりとルパンを睨んだ。
一族のものでさえ出入りできない屋敷。
そこまで他人の出入りを嫌うにもかかわらず、知り合いからのものとはいえ、紹介状1枚で簡単に出入りできるようになる理由が分からない。
何か事情があるに違いないのだ。
「何も隠してなんかいませんよ〜?」
しかし、ルパンはけろっとした顔でそんなことを言う。本気の騙しあいになれば、ルパンの右に出るものなどいない。
それが嘘か誠かなど、子供の頃からの付き合いをする次元ですら、時に見極めるのは難しい。
「…ったく分かったよ。やりゃあいいんだろ?」
「よろしく〜」
しぶしぶながらに了承した次元。ルパンはひらひらと手を振ったものの、はたと何かに気付いたように次元を見つめた。
「何だ? 何かおかしいか?」
「お前さぁ、その髪と髭どうにかしろよ。その恰好にしちゃあ、ちょっと清潔感ってもんがないんでない?」
「これは俺のトレードマークなの!!」
* * * * * *
「な・ん・で!! お前は1番大事なことを最初に言わないんだ!?」
「あら〜次元ちゃんご立腹だこと…俺、何か言い忘れてたっけ?」
街を駆け抜けるフィアットの助手席。窓の外を流れていく街の光を眺めながら、次元はイライラと頭をかいた。
「…とぼけんな。奴の性癖に関して、俺は一言も聞いてねぇぞ」
「あらま〜そうだったっけか?」
ペルメルに火を入れた次元が、そのフィルターを噛み潰すのを横目に見て、ルパンは小さく苦笑した。
仕事には直接関係があることではなかったから、知らなくてすむのなら知らせたくなどなかったのだが。
やはりあそこに1週間もいれば、そうもいかなかったらしい。
もとはといえば、奴の性癖があったからこそ成り立った計画だ。
小細工を使ってまで次元が屋敷に行くことになるように仕組んだのも、単に次元が奴のタイプだったから。
尤も、ルパンからすればかなり面白くない話ではあったのだが。
「…お前、何かされたのか? 随分気に入られてたみたいだけっども?」
運転しながら、ルパンは器用に次元のクロスタイに手を伸ばす。
「…心配するくらいなら最初っからんなことやらせるんじゃねぇよ」
ちゃんと運転しろ。その手を叩き落とし、次元はグローブボックスから取り出した帽子を目深に被る。
そして、それきりむっつりと黙りこんでしまった。
「…誰かに仕えるってことは、そいつに命を預けること…か。カ〜ッコいいこと言っちゃってさ」
「…うるせぇよ」
「あの子に同情したか?」
聡明な眼をした子だった。そういえば、どことなく子供の頃の次元に似ていたな。ふとルパンはそんなことを思った。
もしかしたら、次元もそんなことを感じたのかもしれない。
「…同情するなって方が無理だろ」
プライドと命を天秤にかけるには、14歳という年齢は幼すぎると思いたい。アレッシオは、ただの子どもなのだ。
「けど、ジジイ潰して自由にしてやるのがいいこととも限らねぇ…そうだろ?」
「んなこたぁ分かってるって。…けどよ、あいつ…」
あそこが好きだとは言わなかった…煙と共に、次元はそう深く吐き出した。
あのままあそこにいれば、あの少年は間違いなく裏世界の住人になっていただろう。今まで何人もそういう奴を見てきた。
もっとも、身体を売らなければ生きていけないような状況にある子供など、世界中で珍しいことではない。
その中の1人を助けたところで、何が変わるわけでもない。欺瞞と言われてしまえばそれまでだ。
それでも。裏の世界〈そこ〉がどんなところか身をもって知っているからこそ、あの少年をそちら側へ送りたくなかった。
(お前のそういうところ。だから嫌いじゃねぇぜ)
黙って煙草を吸う次元をミラー越しに眺め、ルパンは小さく口角を上げた。
「やれやれ。慣れねぇことしたら疲れちまったぜ」
着いたら起こしてくれよな。そう告げて、次元はまだ長い煙草を灰皿に押し込み、シートを倒して被った帽子を顔の上に乗せ直す。
「俺もな、次元」
「…なんだ?」
「俺も、命を預けるのはお前だけだぜ」
「…何言ってんだか…俺がいつお前に命預けるなんて言った?」
「照れなくてもいいんじゃねぇの?」
「馬鹿言ってんじゃねぇよ」
それきり黙ってしまった次元。ルパンはまた小さく笑い、それから車窓に眼を戻す。
流れていく街の光を眺めながら、お宝以上の戦利品を得たことに満足の笑みを漏らすのだった。
Fin.
【あとがき】
ずっと以前から書いてはいたものの、好き放題っぷりにアップを躊躇っていたものです。
アップしてしまいましたが、大丈夫でしょうか…
'11/02/01 秋月 拝