グローリーデイズ

 ここ最近、朝はいつも芳ばしい香りで目覚める。眠い目を擦りながらその香りにつられるようにしてベッドから這い出して、身づくろい。洗面所で顔を洗ってからリビングダイニングへ向かえば、途中で機嫌のよさそうな相棒の低い鼻歌が聞こえてきた。
 テーブルに並ぶのは狐色に焼けたトーストに、厚めに切ったハムと目玉焼き。それにサラダ。アジト中に広がる芳ばしい香りの正体、珈琲は豆からじっくり煎れた相棒こだわりの一品。

「よぉ、やっと起きたのか」

 俺の気配に気付いたのか、珈琲メーカーを片手に振り向く次元の口元がにっと歪む。鼻先を珈琲の匂いに混じって甘い煙が掠めた。

「ん、おはよ。次元」

 それに応えてからテーブルに着いて珈琲に手を伸ばす。

「そろそろ起こしに行こうと思ってたとこだ」
「あらそうなの? 次元ちゃんがおはようのチュウしに来てくれるんなら、あのまんまベッドで待ってりゃ良かったぜ」
「馬鹿言ってねぇでさっさと喰え。冷めちまう」

 呆れたように鼻で笑われて顔を背けられた。耳の先がほんの少し赤い。素直じゃねぇんだからホント。

「…ところで今日はどうする?」

 咳払いをひとつ。咥えていた煙草を灰皿に押し込み、気を取り直したように向かいに座って珈琲を啜りながら次元が俺に問うた。

「んードライブにでも行かねぇか?」
「いいな。どこ行く?」
「水辺がいいな。海か、川か…。ああ、湖とかもいいな」

 言いながら、溶けたバターの染みこんだトーストに齧り付いた。じゅわりと口の中に広がる濃厚な味。

「…いつもと違うな、これ」
「よく分かったな。いつものが店になかったから違うのにしてみたんだ。不味いか?」
「いや? 嫌いじゃないぜ」
「ならよかった」

 次元のほっとしたような顔に、思わず笑みが零れた。

「何がおかしい?」
「いや、なんでも」

 笑う俺に納得がいかないといった顔になる次元をはぐらかして、少し冷めてしまった珈琲を啜った。
 そういう妙に生真面目に俺のこと気遣ってくれるところ、お前らしい。いやホントにな。心底感謝してんだぜ?

 基本的には回遊魚みたいに、動くのやめたら死んじまうんじゃねぇかってくらいに行動的な俺だけど、たまに。そう、ごくたまにこうやって何にもしたくなくなるときがある。まるでネジの切れたぜんまい人形。起きて、飯食って、寝て。その繰り返し。たまにドライブに行ったり、ぼんやりテレビを眺めてみたり、読むともなしに雑誌を眺めてみたり、気が向いたら家事を手伝ってみたり。そんなことで一日が終わる。
 この状態に突入すると自分でもどうしていいのか分からない。オフになったスイッチがどうやったらオンになるかは毎回違うし、俺の努力でどうこうなるものでもないのは俺自身が一番よく知っている。次元はそんな俺に何を言うわけでもなく付かず離れず傍にいて、気が済むまで俺の好きにさせておいてくれる。その絶妙さ加減といったら、やっぱり相棒はこいつ以外に考えられないと思っちゃうよな。
 それにしても今回はちょっといつもより長いかな。今日で多分2週間くらい。自分でももう少しだなって思うんだけっども、いまいちスイッチが入りきらない。
 そんなことを考えながらぼんやり食後の一服をしている間に、手早く次元は朝飯の片付けを終えてしまって、それを待ってから揃って車庫に向かった。

「地図見てみたらここから西に180Kmぐらいのとこに湖があるらしいぜ。そこにするか?」

 今日は運転手の気分じゃないんだよなーなんて思いながらぼけーっとしてたら、何も言わないのに地図を片手にちゃんとフィアットの運転席に乗り込む次元。お前ってホントわかってる。

「ん、任せるぜ」

 助手席にもぐりこんで煙草に火をつけたら横から伸びてきた手に取り上げられた。

「俺にもくれ」
「事後報告かよ。いいけど短いだろそれ」
「無くなったらまた点けてくれるだろ? 助手席なんだからそれくらいはしろよ」

 笑いながら、俺は自分用に取り出した新しい煙草に火を点けた。
 風を切って走り出す車。カーオーディオのスイッチを入れれば、ラジオからはちょっと懐かしいブリティッシュロックが流れてきた。軽快でセンスがいいコード進行。うん、嫌いじゃない。DJの女の子の声も高すぎず低すぎず耳に馴染んで落ち着く。
 籠った煙草の煙を逃がすのに少しだけ窓を開けたら、冷たい空気が流れ込んできた。

「寒ぃんだ、閉めろよ」
「ルーフ開けるよかマシでしょ? 我慢しなさい、煙いでしょうが」
「ったく…」

 それ以上文句も言わずに唇の端で苦笑するだけ。
 仕事仲間。気の置けない友人。相棒。そして恋人。どんな言葉もこいつを表現するには少しだけ足りないと思う。こいつ以上に俺を理解してる奴は世界中探したってどこにもいないと思うし、もしかしたら俺以上に俺のことを理解してるのかもしれないと思うときさえある。それが不快だなんて思ったこともなくて、この存在感に慣れてしまった今じゃ、それ以外だときっと落ち着かない。何も話さなくても何もしなくても黙ってただ横にいるだけでいい。
 すれ違う車もどんどん少なくなり、舗装もされていない細い獣道のような道を走って、車はやがて湖に出た。湖が半分くらい見渡せる高台に車を止めた。

「天気が良くてよかったな。風はちっと強ぇけど」

 確かに少し風が強い。先に車を降りた次元が帽子を取られそうになって慌てて左手で押さえ込んでいた。
 寒いしここのところお天気続きだったから水も澄んでいて、空の雲が映りこむくらい。冷たい風が吹くたびに湖面に漣を立てていくのがよく見える。

「ああ…いいな」

 ルーフから上半身を覗かせて呟いた。湖面に反射する光が少し眩しくて、目を細めた。鳥の囀りと風の音と樹のざわめきと。それらが俺の心にも漣を立てていく。情熱を見失って凪いでいた俺を揺らしていく。

「…俺は別に今のままだっていいんだぜ」

 不意に。
 車のドアに寄りかかって同じ様に景色を眺めていた次元が口を開いた。

「ん?」
「…お前がしたいようにすりゃあいいさ」

 俺のほうを見ることも無く、真っ直ぐ前を向いたまま世間話と大して変わらない様子でそんなことを言う。ルーフの上の俺からは帽子に隠れてしまってお前がどんな顔をしながらそんなことを言っているのかわからない。ただ、流れた紫煙が俺の視界を霞めて青い空へ溶け込んでいく。

「………よく言うぜ」

 思わず笑った。
 俺が今のままでいるなんてお前が一番信じてないだろうし、望んでだっていないのにな。嘘の下手な奴。それでもそんなことを言うんだからお前ってホント俺に甘い。

「そんじゃあまぁ…」

 よっ! と掛け声をかけてルーフから出て屋根の上に立った。一際強い風が俺のジャケットの裾をはためかせた。

「ご期待に添えなくて申し訳ねぇけっども。まだまだ楽はさせてやらねぇから覚悟しとけよ!」

 にっと笑って見下ろせば、同じ様に次元の唇もついっと上がった。

「そうこなくっちゃあな」

 これから起こる出来事に胸躍らせて、俺を見上げて少し眩しそうに笑った顔。
 もしかしたら俺は。仕事の報酬よりも盗んだお宝よりも何よりもこの顔が見たいのかもしれないと、ふと思った。

「乗れよ。次の獲物はでかいぜ」

 トンっと地面に降り立ち運転席のドアを引いた。するりと運転席に乗り込みエンジンをかけてハンドルを握る。

「どこへだってついて行くさ」

 同じ様にするりと助手席に身を滑り込ませて笑う次元も乗せて、フィアットは軽やかに走り出した。


 俺たちはまだ、どこへだって行ける。

Fin.

【あとがき】
ツイッターでヒガシさんいずみーるさんから『なんでもないル次の日常』ということでリクエストを頂きまして書かせていただきました。
何でもない日常って凄く難しいですよね…というか彼らの場合日常からスリリングすぎて日常が日常にならないというか(笑)
今回ルパン様のヘタレ具合というかニートっぷりには賛否あるかと思うのですが、個人的には『世間的には超人天才俺様のルパン様が次元さんの前では普通の人みたいな感情を出せる』っていうのが好き過ぎるのでこうなりましたwww
リクエストを下さったお二方ありがとうございました!!こんなクオリティで申し訳ないですが少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです!

'12/02/28 秋月 拝

Copy right Wonder Worlds Since2010/03/09 by Akitsuki