「どちらへおでかけですか。三世様」
屋敷を抜け出そうとした少年を低いしわがれ声が呼び止めた。
脇に目をやれば、いつからそこに居たのか。姿勢のいい老人が少年を見つめている。50年近くも屋敷に仕えるこの男は、当主の忠実なる部下。そして少年のお目付け役。
見つからずに外出できるとは思っていなかったが、それにしたって警戒が厳しすぎる。
「…別に。散歩だよ散歩」
「左様でございますか。本日は二世様が久しぶりにお帰りになられますので、夕刻までにはお戻りくださいませ」
眉一つ動かすことなく告げ、老人は慇懃(いんぎん)に頭を下げた。
「…わかってるよ」
少年は不貞腐れたようにそう言い置き、老人の横をすり抜け屋敷を出た。
屋敷にいても息が詰まるだけだ。
だからと言って暇つぶしに当てもなく街をぶらつけば、行き交う人々の視線が少年に向けられる。
特に目立った外見をしているわけではないというのに、どこへ行こうとも人の目が少年に集まる。
黒い髪。理知的で大きな瞳。
強いて言えば派手な赤い色のジャケットを着ていることくらいだろうか。
だがそんなことが問題なのではないことは、少年自身が一番良く知っていた。
(三世様よ)
(まぁあれが?)
(天才…らしいぜ)
("三世候補"の中でも群を抜いてるらしい)
(三世はあの方でもう決まりだろうって噂だ)
そんな声が聞こえてくる。
「噂話なら本人の聞こえねぇとこでやれよな」
あけすけに交わされる会話にうんざりし、背後で聞こえた声にじろりと視線を投げれば、その先に居た男は罰の悪そうな顔をして去っていった。
下らない。
(まだ俺が三世と決まったわけでもないのに、皆が俺のことを三世と呼ぶ。)
最も将来的に三世を継ぐのは自分に違いないとは思う。他の三世候補たちは技量も度胸も自分にはてんで敵わないのだから。
それでも、父も祖父もまだ自分を三世とは決して呼ばない。だから、少年はまだ三世ではないのに。
道端の露店にフルーツが山盛りになって売られていた。
「…そこの林檎、一つ」
「これは三世様!」
店の親父に声をかけると親父は大げさに驚いた顔をし、そして少年がいらないと言うのにも関わらず紙袋いっぱいの林檎をくれた。
そんなに貰っても困るだけだったので、自分の分に1つだけ残し、あとは店の脇にたむろしていた子供たちに袋ごとやった。
すると親父と同じ様に驚いた顔をした子供たちは、それでも満面の笑みをたたえて言った。
「ありがとうございます、三世様!」
纏わりつくような視線が鬱陶しくて、人気のない街外れへ足を向けた。
街を見下ろす小高い丘の上。大きな楠の立つそこは、1人になりたいときの少年の行き先だった。
しかし。
そんな日に限ってそこには先客がいた。
深く被ったキャスケットから覗く少し癖のある黒い髪。黒いシャツに黒のパンツ。
黒尽くめの風貌の少年は、少年より2・3歳年上だろうか。
草むらに寝転がっていた黒い少年は、後からやってきた赤い少年の足音に気付いたのか起き上がってゆっくりとそちらを向き、そして少し驚いた顔をした。
誰もが見せるのと同じ顔。なぜここに?驚いた顔が言葉よりも雄弁に語る。
だがそれも一瞬のことだった。
次の瞬間、にこっと満面の笑みをたたえた黒い少年。そして風に乗って涼やかなボーイソプラノが赤い少年に届いた。
「はじめまして」
被っていたキャスケットを外すと邪気のない黒い瞳が真っ直ぐに赤い少年を見る。
「次元大介、です。あなた様のことは…なんとお呼びしたらよろしいでしょうか?」
「…ルパン…ルパンでいい」
唐突な問いだったので、そんな愛想の欠片もない返事になってしまった。
それに、そんなことを聞かれるのは始めてだった。誰もが自分を三世と呼ぶそれなのに。
「そうですか、ではよろしく…ルパン」
そう言ってルパンに差し出された手は、大きくてとても優しかった。
* * * * *
「なぁ、ルパン」
「ん?なぁに次元ちゃん」
隣でハンドルを握る相棒が不意にルパンを呼んだ。
「前から聞こうと思ってたんだけどもよ、…何で俺を相棒に選んだ?」
「ん〜…なんで急にそんなこと?」
「いや、ふと思っただけだけどよ」
あれからもう何年経っただろう?
可愛らしかったボーイソプラノは色っぽいローバリトンに変わり、折角の二枚目顔は熊みたいな髭に覆われてしまった。
ただの幼馴染から相棒、そして恋人。
二人の関係を表す言葉は変わっても、それでもこいつは変わらず自分を「ルパン」と呼ぶ。
相棒に選んだ理由?初対面で俺を三世と呼ばなかったから。そう答えたらこいつはどんな顔をするだろうか。
そんなことを考えて思わず頬が緩んだ。
次元の咥えたペルメルの煙が風に流れていく。
「おいルパンきいてんのか?」
「聞いてるさ」
もちろん。お前が俺を呼ぶ声を聞き逃すはずがないだろ?
お前が俺を「ルパン」と呼んでくれるから、俺は天下の大泥棒・ルパン三世なんだぜ。
車のシートに身を埋め、空を仰いで、ルパンは静かに目を閉じた。
Fin.
【あとがき】
帝国設定でルパンと次元の出会いでした。
子供のころのルパンは、特に帝国設定だと自分の才能とそれに対する周りの評価にもやもやしながら過ごしてたんじゃないかと思います。
そんな心境を唯一理解してくれるのが次元ちゃんだといいなぁとか思います。
'10/06/07 秋月 拝