「よお、早かったな」
アジトにしているアパートメントに足を踏み入れた瞬間、見慣れた相棒の姿が愛想よくルパンを迎えた。
「…あぁ」
「どうかしたか? あ、珈琲煎れてあるぞ?」
一瞬虚を突かれて、キョトンとした顔のルパンを、次元が怪訝そうな顔で見つめてくる。
実を言えば、突然帰って驚かそうと思っていた。だから、アパートの建物に入る辺りからずっと気配を殺し、気付かれないようにしていたのに。
しかし相棒は驚いた顔1つせず、そればかりか、実にタイミングよく煎れたての珈琲を手に迎えられたのではこちらが驚く。
「お前さ、俺が帰ってくるの分かった?」
ジャケットをソファに放り出し、珈琲カップを受け取る。
豆から煎れたのだろうそれは、とても芳ばしい香りがした。
「何かよからぬこと企んでたんだろ」
気配消しやがって。そう言って、取り出したペルメルに火を入れながら、次元は苦笑する。
「気配は消せてたわけだ。んじゃなんで?」
「なんとなく」
煙と共にさらっと発された言葉に、ルパンはガクッと肩を落とす。
「そんな訳ねぇだろ? 適当なこと言ってんじゃねぇよ」
「ホントだって」
悪戯が不発に終わっただけでも腹立たしいのに、それが回避された理由が『なんとなく』では納得が行くはずもなく。
むくれた顔で食い下がるルパン。しかし、詰め寄られた方の次元はなんとも情けない顔で後ずさる。
「あー…強いて言えばな」
「強いて言えば、何?」
次元の口から煙草を奪い取り、ルパンが促す。
「強いて言えばな、空気が変わったんだよ。気配じゃなくてな」
「…はぁ?」
そんな理由を告げられると思っていなかったせいで、またルパンは虚を突かれた顔になる。
「んな理由でお前が納得するとも思えねぇけど、事実だからしょうがねぇだろ」
そのぽかんと開いた口から再び煙草を取り返し、次元は眉根を寄せる。
どうやら、自分でも上手い説明が出来ないことに苛立ってはいるらしい。
「空気が…ねぇ」
呟き、ルパンは珈琲を一口啜った。
* * * * * *
昼も近い時間になって起きだすと、普段は自分と同じくらいの朝寝坊のはずの次元の姿はすでになかった。
おおかた煙草でも買いに行ったのだろう。
珈琲を煎れ、玄関のドアに突っ込まれたままの新聞を取り出して広げる。
どこそこの首相がやってくるだとか、就職率がどうしたとか、景気がどうだとか、おおよそ泥棒稼業には縁のない話題ばかり。
「ちったあどっかでお宝が見つかったとか、景気のいい話題はないもんかね?」
すぐに目を通すのも飽きて、ごろりとソファに横になる。
窓の外からは風の音に交じって、子どもの声が聞こえてくる。外は寒いというのに、ご苦労なこった。
そんなことを思いながらうとうとしていると、ふと、そんな音が止んだ。
少し気になって窓に歩み寄り、外を眺める。窓一枚隔てた向こうの冷たい空気が、暖房に火照った肌に心地いい。
「…ああ、なるほど」
ひとりごち、ふっと口元を緩めた。
唐突に先日の会話を理解した。合点がいくというのは、こういうのを言うのだろう。空気が変わるのだ。文字通り。
それ以上説明の仕方も分からない。言ってしまえば勘なのだろうとも思う。
だが確かに、空気が変わる、そんな言い方がぴったりな気がした。
窓を開けると、冷たい空気が部屋に流れ込んでくる。
覗き込めば、通りの向こうから、見知った黒い影が歩いてくるのが見えた。
「よお、次元」
「ルパン?」
声を掛ければ、見上げた次元が少し驚いた顔をする。きっと、この間の俺も、あんな顔をしていたのだろう。
そう思うとまた笑みが零れた。
「さっさと上がって来いよ。メシにしようぜ」
軽く手を挙げて了承の意を示した次元を見送り、ルパンは窓を閉めた。
空気の話は次元には黙っていよう。先に気付いたのがあいつだなんて、ちょっと癪だからな。
少し冷えた手を擦り合わせながら、ルパンはキッチンへ向かった。
fin.
恋物語 10のお題より 1.空気が変わる
【あとがき】
あまりに息がぴったりで、「俺が今何考えてるか分かる?」なんて会話を日常的にするルパンと次元なら、きっとこんなことも出来る。←
テレパシーとしか言いようのない何かで結ばれた相棒は最強ですv
'10/11/30 秋月 拝