悪夢の後に

 ここはどこだ。右も左も、それどころか上も下も分からないような、深い闇の中に自分はいた。

『夢、か?』

 現実にはありえないだろう光景。そんな深い闇の中、一際に黒く深い闇の谷間があるのが見えた。

『…ル…パン?』

 その淵に佇む、見知った影。何も見えない深い闇の中に浮かび上がる、鮮烈な赤。

『ルパン』

 呼びかけると、ついと影がこちらを向いた。その顔は、何故かひどく、ひどく哀しげで。

『ルパン…?』
『…………』
『え? 聞こえねぇ…』

 微かに動いた唇。だが、その言葉は自分まで届かない。

『……ぁな』
『何…』
『じゃあな』

 ようやくその言葉が届いたとき。赤い姿はぐらりと揺らぎ、そして落ちていった。暗く深い闇の中へ。

『ルパンっ!!!』

 慌てて深淵に駆け寄り、手を伸ばす。 精一杯に伸ばした手は、しかしルパンの手を捉えることはなく、空しく宙をかいた。

『ルパン!』

 鮮烈だったはずの赤が、闇の中に吸い込まれていく。

「ルパーーーン!!」

*  *  *  *  *  *


「…元……次元!!」

 はっと我に返ると、目の前にルパンの顔があった。

「どうした?」

 凄いうなされてたぜ。
 言われて、そこが自分の寝室であることにようやく気付いた。夢だということも理解していたはずなのに。 空しく宙をかいた手の感触も、耳元に残るルパンの言葉も、夢だと言い切るにはあまりに生々しい感触で残っていた。 堕ちていく姿を見たときの、凍りつくような喪失感が全身に纏わりついて離れない。 背筋を冷たい汗が幾筋も伝っていく。

「わ…り…起こした…な」

 ざらつく喉から搾り出した声が、自分のものではないように聞こえた。 別々に休んだはずのルパンを起こしたのだとすれば、自分はどれだけうなされていたというのか。

「ん、いいけどな。大丈夫か?」

 熱でもあるんじゃねぇか?
 伸ばされた手に、一瞬びくりと身体がすくんだ。伸ばしても届かなかった手が、脳裏に浮かび上がる。 俺に向かって伸ばされた手は、青白い月の光に照らされ、まるで幻のように見えた。
 どうした? 不思議そうに、その眼が問う。

「…いや…何でも…ねぇ」

 張り付いた前髪をかきあげ、ルパンの手が額に触れる。常ならば熱いとさえ思うそれが、今夜は何故か、ひどく冷たく感じられた。

「ああ…、やっぱ熱があるじゃねぇか」

 溜息のような呟き。

「待ってろ、薬持って来てやるから」
「待て…」

 踵を返し、部屋を出ようとしたルパンの手を引いた。
 どうした? また。振り返った優しい瞳が俺を見た。
 触れた手は冷たい。それでも、お前はここにいる。遥か彼方の遠い闇の底にいるわけではない。

「ここに…」

 居てくれ。張り付いた喉は上手く言葉を紡ぐことが出来なかったが、それでも、伝わったらしい。

「ん」

 小さく答え、ストンと、ルパンは俺の傍らに腰を降ろす。

「寝れるか?」

 それでも、きっとひどく心細そうな顔をしていたのだろう。

「大丈夫、ちゃんとここに居てやるよ」

 柔らかな笑みが、背中に纏わりつく不安を溶かしていく。 伸ばした手が掴んだ手は、優しく、だが力強く、そこにある。

「大丈夫…な?」

 次元。優しい声が、俺を呼ぶ。

「…あぁ」

 心地よい響きに身をゆだねながら、俺はゆっくりと目を閉じた。 ふわりと頬に触れた手に己のそれを重ねる。


 もう2度と、2度と離さない。

fin.
恋物語10のお題より 5.伸ばされた手

【あとがき】
幻想的な情景を主観で書くのって難しいですね…
俺様ルパン様も大好きですが、普段がそうであればあるほど、優しいルパン様のギャップに萌えます←聞いてない

'11/01/31 秋月 拝

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