はるいろ

 五右ェ門が突然日本に帰ると言い出したのは、パリでの仕事が片付き、3日後には次の仕事先のサンフランシスコへ飛ぶというような、ものすごく間の悪いタイミングだった。

「…な〜に言ってんの?五右ェ門ちゃん。もう次のお仕事決まってんのよ?」

 五右ェ門の突発的ワガママは今に始まったことではないが、これにはさすがのルパンも眉を顰めた。

「ゆうべの俺の話聞いてた?今度の仕事はお前抜きには出来ない仕事なんだぜ」

「…誰も降りるとは言っておらん。一度帰らせてくれと言っただけであろう」

 こちらはこちらで、なぜダメと言われるのかわからないといった、ひどく憮然とした表情をしている。
こういうときの侍は恐ろしいほどに頑なで、真一文字に結んだ口が絶対に譲らぬと示している。

「仕事はする。だがその前に日本に寄らせてくれ」
「一体何の用だ?日本食が恋しいのか?」

 部屋の隅で煙草をふかしていた次元が口を挟んだ。
 パリでの仕事は仕込みから入れれば3ヶ月近くにもなり、五右ェ門がアジトに持ち込んだ米も味噌も醤油もとっくに底をついている。
和食以外を頑なに嫌う五右ェ門のここ最近の主食は、もっぱらカップそばかカップうどん。
いい加減日本食に飢えた五右ェ門は食事のたびに味噌汁が飲みたいだの、たくあんが食べたいだの不満たらたら口にしていたのだ。

「いや、そうではない」

 意外にも返ってきた答えはNOだった。しかしそれが理由でないなら、そこまでして日本に帰りたがる理由が次元には見当がつかない。

「じゃあなんだ」
「理由は言えぬ。が、どうしても行きたい場所があるのだ」
「…なんだそれ」

 頑として譲らない五右ェ門に、ルパンはガクッと肩を落とす。

「ともかく明日、拙者は日本に帰る。それで仕事に間に合うよう、3日後にサンフランシスコで落ち合えば問題なかろう?」
「いやまぁ、そうだけどねぇ…」
「ルパン、頼む」

やたらに真剣な五右ェ門に見つめられ、ルパンはハァァと大きなため息をついた。
そして、しばらく考えてから、ようやく口を開く。

「しょうがねぇなぁ、3日後に絶対間に合うように来いよ」

 パッと、五右ェ門の顔が輝いた。

「かたじけない!!」
「…やれやれ」
 肩をすくめた次元を、ルパンがちょいちょいと手招きした。

「おい、次元」
 呼ばれた次元は煙草の火を揉み消して、ルパンの隣に席を移る。
そして、五右エ門に聞こえないようにして囁いた。

「何だよ。結局お前はあいつに甘いのな」
「…お前に言われたくはないねぇ、次元」

 こちらも五右エ門には聞こえないように囁き、そしてにひひひと笑った。

「今度の仕事、絶対五右ェ門外すわけにはいかねぇからよ。機嫌損ねられて拙者は降りるな〜んて言われたら仕事になんねぇんだもん」
「かたじけない、ルパン。この礼は必ずや」

 いそいそるんるんと荷造りする様子は、どう見たところで遠足前日の小学生だ。

「嬉しそうだねぇ、ま、久しぶりだしな。ところで次元」

 そしてルパンはとんでもないことを口にした。

「お前、五右ェ門についていけよ」
「あぁ!?何で俺が!」

 思わず、声が大きくなる。どうしてそんなことになるのだ。

「お目付け役。言ったろ?次の仕事の成功は五右ェ門にかかってんだ。そのまま日本に居付かれたんじゃ敵わねぇからなぁ」

 ちゃんと連れて来いよ。軽い調子でそういう相棒を横目に、次元は大きくため息をついた。
五右ェ門と二人きりというのはやぶさかではないが、それにしたって面倒を押し付けられたものだ。
五右ェ門だって子どもではないのだから、一人でサンフランシスコのアジトまで来られないわけもないだろうに。

「…お前はどうすんだよ」
「オレ?オレは先に行って不二子ちゃんとデ・エ・ト♪」
「…ルパン?」

 だらしない顔でへらへらと笑うルパンに、限りなくドスのきいた声で次元。マグナムの撃鉄がカチリと上がる音がした。

「…冗談の通じない奴だな。今度の仕事もちっとばっかし仕込みがいるんでな。先行って不二子と打ち合わせしとくぜ」
「…大丈夫か?」
「まかせとけって。そっちもせいぜい楽しんで来いよ」

 そう言って、ルパンはなぜか意味深に笑ったのだった。




「次元、出掛けぬか」

 パリからの長旅を終え、日本のアジトに着くのも早々に、五右ェ門がそんなことを言った。

「俺は疲れた。寝る」

 次元はやる気なくひらひらと手を振った。パリから日本までは飛行機で半日以上。
日頃の鍛錬で体力も気力もある五右ェ門とは違い、座りっぱなしの身体はバキバキに固まっているし、さすがに若干時差ぼけ気味だ。それに、明日の昼にはルパンの待つサンフランシスコに飛ばなければならないのだ。出来れば少し休んでおきたい。
 五右エ門が何の用で日本に来たかは知らないが、その用事にまでのこのこ付いていかないといけないようなこともないはずだ。
しかし、そんな一言に怯む侍ではもちろんない。寧ろ、そんな言葉を吐いた次元を眉間にしわを寄せて睨む。

「修行が足りんのだ」
「お前と一緒にするな」

 案の定の台詞を吐かれ、今度は次元が渋面になる番だった。

「いいから来い」

「…なんなんだよ、全く」

 結局のところ、ルパンにどうのと言えないくらいに甘い次元は、押し切られる形で五右ェ門に従った。

「んで?どこ行くんだよ」
「このそばの山の中だ」
「山ん中ぁ?」

次元は思わず素っ頓狂な声をあげる。疲れている、といったのを聞いていなかったのかこいつは。

「1人で行けよ」
「1人で行ってもつまらぬ。いいから来い」

 五右エ門は次元の袖を引くと、強引にアジトから連れ出したのだった。
(つまらぬ…?一体何するつもりなんだ?)
 先を行く五右エ門の背中を見ながら、次元は怪訝な顔をする。
 パリはまだかなり寒かったが、そこより緯度の低い日本はもうかなり春めいていた。のどかな日差しの中、どこからか鶯の鳴く声が聞こえた。

「おい、まだかぁ?」
「もう少しだ」

 春先の陽気は転寝をするにはいいが、黒いスーツが日差しを集めるものだから動き回るには少し暑い。
 スーツを脱いで肩に掛け、五右ェ門の後を追う。
 かれこれ30分ぐらい歩かされていた。山、とは言われたものの思ったほどのものではなくどちらかと言えば丘に近い感じで、最初に想像したほどは大変でもなかったが、帰りもこの時間かかるのだとするとうんざりする。

「こんなところに何があるんだよ?」
「来ればわかる」

 このやり取りも、さっきから何度目になるだろう。
 次元は、ため息をついた。

「着いたぞ」

 不意に立ち止まった五右ェ門の背中に、次元はぶつかりそうになった。

「おい、急に止まるな!」
「見ろ」

 二人が歩を止めた場所。丘の頂上の少し手前で五右ェ門が指し示した先にあったのは。

「…こいつはすげぇや」

 不平たらたらこぼしていた次元だったが、その光景には目を見張った。
 小高い丘の上、開けた場所に立つのは一本の巨木。大人が3人がかりでも抱えられるかどうかというような太い幹をした、樹齢数百年はあろうかという姿。

「見事であろう?」

 ちょうど満開らしく、咲き誇る桃色の花は優美で、風にその花を散らしている。

「これが見たかったのか?」

 ようやく五右ェ門が日本に帰りたがった理由を知る。
 降りかかる桜の花びらの下で、五右ェ門はその幹に触れた。

「…去年秋ごろ修行の合間にこれを見つけてな。春になれば、それは見事な花を咲かせるだろうと期待しておったのだ」

 やはり、日本の春は桜を見ねば。そう言って、侍は微笑んだ。

「…なら最初からそう言えばいいものを」

 次元は肩をすくめて苦笑した。
あんなにも熱心に日本に帰りたがって、一体どんな重要な用事があるのかと思ったら、ただの花見だったとは。
ルパンが知ったらどんな顔をするだろう。

「お前には付き合いきれないぜ」

 スーツを放り投げ、薄桃色の絨毯の上へ寝転がる。暖かな日差しが心地よい。
ま、たまにはこんなのも悪くねぇかもしれねぇな。

Fin.

【あとがき】
桜ネタで一本、いかがでしたでしょうか?
丘の上の一本桜って、「ルパンVSコナン」の桜みたいだな!と、書きあがってから思いました。
ワガママ全開のお子様侍に振り回されるルパンと次元って感じになっちゃったかな。
'10.03.24 秋月 拝

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