血まみれの夜に

その日、帰ってきた侍からは血の臭いがした。
 夕方から降り続ける雨に濡れたせいで、普通の人間ならわかるかわからないか、という程度の微かなものだったが、慣れた臭いだ。
俺の鼻は確実にその臭いを捕えていた。

 ああ、こいつはまた、人を斬ったのだ。

 煮えたぎるような感情を孕んだ切れ長の瞳。そのくせいつもにも増して凄然とした気を放つその姿は、ゾッとするほどに美しい。

「傘、持って行かなかったのか。予報で降るって言ってたろうが」
「…それまでには帰るつもりだったのだ」

 その答えが、予想外のアクシデントに巻き込まれたことを暗に指し示す。
 どうせしょうもないことだ。俺も、こいつも、もう一人の俺の相棒も、裏社会では名前が売れすぎている。
こっちはそのつもりがなくても命を狙うものは後を絶えない。

「そうか。さっさと風呂入って着替えて来い。風邪引くぞ」
「そうさせてもらおう」

 わかっていて俺は聞かない。何があったのか?とは。
 多分こいつは聞いて欲しくないだろうから。
 瞳に渦巻く感情は、罪悪感と自己嫌悪と、そして高揚感と。
 人斬りと呼ばれたこともある男が見せる、後悔の念。
 何を悔やむことがあるというのかそれが俺たちの日常なのに、と俺からすれば思うわけだが。
今更悔やんだところで天国にいけるわけでもなかろうし。

 金のためか、自分の命のためか。突き詰めれば殺しの理由なんてそんなものだ。
いや、そもそも、理由ある殺しなんかこの世界にはないのかもしれない。殺したという事実。それだけであって、それ以上でもそれ以下でもない。
 誰かに命を狙われたから、殺した。それだけだ。やらなければ自分がやられる。それが俺たちの身を置く世界。死にたくなきゃやるしかないのだ。
 そう分かってはいても人を斬るたびにこいつはそんな眼をする。それを見るたびに、俺は少しだけ物悲しい気分になる。






「おぬし、人を斬ったことはあるか?」

 ある時不意に、五右ェ門に聞かれたことがある。

「ん?まぁ…ない、とはいわねぇけどよ」

 それがどうした?怪訝な目を向けてやると五右ェ門は、「そうか」とだけ答えた。

「…何だよ」
「…銃で人を殺すのはどんな感じだ」

 続かない会話に今度は俺が水を向けるが、それを無視して五右ェ門はまた別の質問をしてくる。

「どんなって…引き金を引いて、撃った弾が相手を死に至らしめる。…それだけだ」
「そうか」

 納得したのかしていないのかわからない微妙な表情で、それっきり五右ェ門は俺が何を聞いても答えなかった。
 そういえば、あの日の五右ェ門も今日のような眼をしていた。
 人を斬るのは感触が残る。皮膚を切り裂き、肉を穿ち、骨を断ち切る。人を死に至らしめるすべてのプロセスを、その刃で己にも同じ様に刻み込む。
 今更、刀を振るうことに罪悪感を持つようなやわな良心は持っていないと思う。
…いや、そういったものを持たないように、己を律して修行に明け暮れているのかもしれないと思うことがある。
何かを振り払うかのように、断ち切るように、刀を振るい続ける。

 皮肉なものだ。刀を振るうことがあいつの心の揺らぎの原因なのに、その揺らぎをあいつは刀を振るうことでしか掻き消すことができないのだから。
 それでも、初めて会ったときの五右ェ門はもっと暗い目をして、狂気をその瞳に宿していた。
それがなくなったのは何時の頃からだろうか。
あいつをそこから引きずり出したのは、紛れもなくルパンだが、それが奴にとって良いことだったのかどうかは、俺には分からない。






「次元」

 風呂から上がってきたらしい五右ェ門が俺を呼んだ。

「どうした」
「…いや」

 言いながら、俺の横に座る。
 もう血の臭いも雨のにおいもしない。冷えて白かった顔色にも、少し血の色が戻っていた。

「いや、じゃねぇよ。呼んどいて妙な奴だな」
「もらってもよいか」

 そう言って指差すのは、俺が飲んでいたスコッチの瓶。

「珍しいな、日本酒じゃねぇぞ?」
「わかっておる」

 空のグラスに砕いた氷を入れ、酒を注ぐ。
 渡したそれを、五右ェ門は一気にあおった。

「おい、やめとけって」

 五右ェ門だって酒に弱いわけではないが、飲み慣れないものだから無茶すぎる。

「…やはり薬くさいな」
「…文句言うんなら飲むんじゃねぇよ」

 これ見よがしに眉間にしわをよせて顔をしかめる五右ェ門の手から、俺はグラスをひったくってやった。
 だが、それでも飲まずにはおれないんだろうとも思う。

「五右ェ門」
「なんだ」

 呼ばれてこちらを向いた五右ェ門の顎に手をかけると、そのまま唇を重ねた。重ねた唇からは俺のものと同じ酒の香り。
 いつもなら抵抗を見せる行為も、こんな日だけは大人しい。

「次元?」

 唇を離すと、間近にある訝しげな黒い瞳に写るのは、見慣れた自分の顔。
 おまえを最初に狂気から引きずり出したのはルパン。
だが、人を斬るたびに狂気との狭間で揺れるおまえを、こちら側へ引き止めるのは自分でありたいと思うのは、俺のエゴだろうか。

「五右ェ門」
「何だ、さっきから。おかしな奴だな」

 くすり、と五右ェ門が微笑んだ。それを見て、俺も少し頬を緩めた。

「そんな顔ができるんなら、まだ大丈夫だな」
「何がだ?」

 俺の呟きに、五右ェ門は不思議そうな顔をする。
 今そうやって笑えるなら、血塗られた過去は消せなくても、俺の血まみれの手で共に進めばいい。
 いつの間にか雨はやみ、煌々と月が輝いていた。

Fin.

【あとがき】
次元のモノローグ風。次元は優しい男なのだということが書きたかったのです…(どこがよ)
ワタシの中で次元はこういう男なんです。
ちょっと言葉足らずででも思慮深い感じ。
お前も文章書きならそれを中身で表現しろよっていう…(泣)精進します!

'10.04.01 秋月 拝

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